郡上の領主だった東常縁直筆の「古今和歌集」
山内家より
(5代藩主・豊房)
    5代将軍徳川
綱吉の生母桂昌院)献上されていた!
写真上↑  国名勝  東氏館跡庭園(昭和62年6月13日指定) 東常縁もここに住んだ。
見性院の母・友順尼は、東家13代の東常慶の娘としてここに生まれ育ったと思われる。
遠藤盛数に嫁ぎ、関城の永井隼人に再嫁し、娘を山内伊右衛門に嫁がす波乱の人生を送る。隠し持った素性を証す家宝の「古今和歌集」は、いざという時の軍資金にも代えうる価値があったとも。最後は、東家菩提寺の乗性寺(郡上市美並町苅安)へ戻り、信長から逃れて郡上へ入った教如上人から得度を受けそこで没す。
 (写真の池の石は、発掘された時のまま。400数十年前の夢の跡を残す。)
  
元禄13年(1700)11月15日、「松平民部大輔豊房(山内氏松平姓を賜う)襲封を謝して、備前近景の太刀、銀500枚、綿300杷献じ、又亡父土佐守豊昌(同年9月14日卒)遺物として、粟田口国吉のさしぞえ、茶入(文琳)を奉り、御台所(将軍綱吉の正室)に
冷泉大納言為秀卿筆の古今集、三の丸(綱吉生母桂昌院)に東下野守常縁筆の同集を捧ぐ」 
         (「徳川実記」) 注:豊房は5代藩主
  
東常縁と斉藤妙椿とが詠み交わした和歌十首↓
↓ 斉藤妙椿に奪われた篠脇城(この庭園の上の山城)を東常縁は10首の歌を送り、取り返した
写真:東氏館跡庭園(国名勝)
山内一豊の妻 山内一豊夫人顕彰会・(トップページ)

中央は東氏の十曜の紋。東常縁の10首の歌と斉藤妙椿の返しの歌がはめ込まれている。
(写真上↑)

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千代の母・友順尼のふるさと
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