古今和歌集研究の第一人者だった
     東常縁の一族 学者がずらり! 
東常縁の兄・氏世が継いだ安東家へ、後に山内家から一豊の姉・通姫が嫁いでいます
千代の兄・遠藤慶隆は奥さんを安東家から永井隼人の肝煎りで貰っています。その奥さんの姉が不破の軍師・竹中半兵衛の妻です。
 当時の京都のお寺は今の国立大学のようなもの、建仁寺・南禅寺・天龍寺など五山文学の中心をなす寺の住持を東家の人々は歴任していました。
中国にも渡ってなどで勉強をしています。
郡上市大和町の東氏居館跡庭園(公式サイト)からは中国の明の古銭や焼き物なども出土しています。
 東常縁の父益之は、生まれは京の人、と龍統の「木蛇寺殿墳記」に書かれ、幼少より歌の天才でした。大和町より初めて八幡町に出て砦を築いたのは益之です。
若い頃は、滋賀県の臨済宗永源寺派の大本山・永源寺で修行を積みました。

(建仁寺住持)
(「慈永大姉を祭る文」)
(山内一豊の妻)山内一豊夫人顕彰会へようこそ
古今和歌集につながる東家の人々へ
東常縁
益之
江西龍派
 ↑(建仁寺・南禅寺・天竜寺の住持
慕哲龍攀
(建仁寺で一休禅師の先生)
龍翔
↑(入明・・建仁寺へ
正宗龍統
(建仁寺住持
「木蛇寺殿墳記」)→
盛胤
常庵龍崇
元胤
氏世
↑(安東家を継ぐ)↓
氏数
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 土佐・山内家の5代山内豊房は元禄13(1700)年に5代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院に、この東常縁直筆の「古今和歌集」を献上している。同時に将軍綱吉の正室にも、冷泉大納言為秀筆の「古今和歌集」を献上している。(山内家が所持した古今和歌集は4つ
 この外、上記の冷泉為秀の父為相筆の「古今和歌集」も6年後の宝永3年に6代豊隆綱吉正室に献上している。
 平成の代に山内家が国宝となった「古今和歌集」(高野切れ)を七億円で高知県に売却され、36000点にも及ぶ美術品・古文書などは無償で県へ寄贈された。
 
一連の‘古今和歌集’は見性院(山内一豊の妻)がその母・有順尼東常慶の娘)より結婚時に山内家へ伝えたものとの可能性が濃厚といえる。






常和
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慈恩禅寺の東家遠藤家(千代)系図へ