山内一豊
千代の夫
この頃に初の近江長浜城主
天正12年(1584)8月19日の条。(秀吉と家康・信雄の戦い)小牧長久手戦。
山内伊右衛門尉(一豊=千代の夫)は700名、遠藤左馬助(慶隆=千代の兄)と遠藤大隅守(胤基=千代の従兄)の両遠藤が600名、佐藤六左衛門尉(慶隆弟慶胤千代の次兄≠フ岳父の子、遠藤長助祖父の子)400名、両日根野(大隈守娘は日根野新七郎妻)が1500名の合計3200名。これら親戚グループは左翼2番手に位置している。
(上記の写真は「大和村史・通史編上巻」)
  ※佐藤六左衛門は秀方で2代目鉈尾山城主(美濃市=郡上の南隣の町)のこと。「大日本史料」、「秋田文書」。
いとこ同士の結婚になる
千代の姉は胤基の弟胤重妻
千代の兄遠藤慶胤妻の兄弟
美濃市の鉈尾山城主
必見
山内一豊・遠藤慶隆、左翼第二番手で奮戦!
 小牧長久手合戦の陣立て。鉄壁親戚軍団総勢3200名。
翌年、富山の佐々成政攻め陣立ても同様
天正12年8月19日(一豊40歳、慶隆35歳)
「大日本史料」(東京・秋田文書)(富山・埴生護国八幡宮文書新発見写真)へ
遠藤慶隆
千代の兄
分家

郡上八幡城主
遠藤胤基
千代の従兄
本家

郡上木越城主
日根野は遠藤と婚姻関係
佐藤秀方

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弘就
重之