「秀吉陣立て朱印状」 長浜城歴史博物館蔵
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→◎千代の兄
 遠藤慶隆
 ※郡上八幡城主
 遠藤左馬助
→◎千代の従兄
 遠藤大隅守胤基
 ※郡上木越城主
 遠藤大隅守
→◎千代の兄
嫁の兄弟
 ※鉈尾山城主
 佐藤六左衛門
→◎千代の夫
 山内一豊
 ※高浜城主
 山内伊右衛門
※ 秀吉の越中富山の佐々成政攻め先勢遣の覚え
天正13年(1585)
一豊41歳、慶隆36歳
秀方59歳
千代の夫と兄達親戚グループ
越中
先勢遣覚
→◎堀尾毛

ドラマでは一豊のよきライバル
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→前田利家
長浜城歴史博物館のご好意で写真を撮らせていただきました。感謝申し上げます。
 先代の佐藤六左衛門(美濃の上有知=鉈尾山城主)は妻を先代の遠藤大隈守胤縁より娶り、その間に生まれた娘を、千代の兄、慶隆の弟の遠藤慶胤に嫁がせている。その子は遠藤長助で1600年の稲葉氏との戦いで戦死。郡上市役所近くにある愛宕公園の五人塚に名がある。
 また、佐藤六左衛門は金森長近の命で飛騨萩原に諏訪城を天正14年(この陣立ての翌年)に築城しました。
   (「萩原の史跡と史話」より)
三番
二番
四番
↑次兄・慶胤の妻の実家
一番
郡上の系図へ
郡上の東家・遠藤家系図(遠藤左馬助慶隆)へ
印が一族軍団
前年の小牧長久手戦でも一豊と慶隆たちは同陣