鈴音御使


砂漠は不思議なもので誰も気付かぬ内に、
地面が、足下が、道が、本当に突然、黄砂となる。
その足下の変異に気付いた時には、目前に何も無い、
いや、足下と同じ黄砂だけの世界が、ただただ永遠に続いていく。
雨が降ったという記憶が、この界隈の人々の記憶にはほとんど無い。

「それでも血の雨だけは、降るもんなんだな」

吐き捨てるように、黒い外套で身を陽射しから守る男が一人立っている。
墨曜だ。
立っているところには、そこかしこに黒ずんだ血の痕が見える。
ここは「殺しもする」盗人が出る地域だ。
酒家での話の通り、他の街では犯罪の中身が酷いらしい、
惨たらしく散った血の痕だけで、その非道が眼に浮かぶ。
じっくりと現場を見ていく墨曜。残された貨車や荷車を見ている。
傷跡や、損傷の具合を念入りに調べている。

「ん?逆傷?」

捨て放しの死体にも手を合わせてからじっくりと検証する。
相手方の手筋を確認するためだ。どれもこれも即死だったんだろう。
それほどの傷が、分け隔てなくつけられている。
だがその傷の方向が右手利きのそれとは異なるように見える。
死体の身なりや散らばった物を見てため息をつく。

「なるほど、命も奪うが物も全てのようだな」

すか、カラになった布袋を手に取った。
金品の類は全て抜かれているらしい、強欲極まりないと言うべきか、
むしろ手際の良さを誉めるべきなのか。
ふと風に乗って音が近づいてきた。
ようやく街の役人がやってくるのだろう。見つかると面倒だ。
墨曜はつむじ風のようにそこから消える。

「まったく暫く、大人しかったと思ったら」

「しかし、なぜいつも執拗なまでに皆殺しなんだろう」

「怨恨じゃねぇし、なんだ、顔でも見られたからじゃねぇのか、手がかりも無いしな」

「あーあ、すっかりこちらの街は廃れちまったし、俺も向こうへ転職するべかな」

そんな会話が聞こえた。彼らの眼は墨曜の姿を映していない。
彼は今、お手製の砂柄の迷彩布を被って、地面と一体化している。
ちょっと見たらすぐ解るくらいのへっぽこ迷彩なんだが、
役人どもは現場を片づけるのに集中しているせいか、まったく気付いていない。
我が隠れ蓑の素晴らしさほれぼれするのう、
墨曜の自尊心が徐々に満たされていく、刹那、

「おい、この汚い布どうする?」

「ああ、ほっとけよ、そんな汚い布」

「本当だ、えらく汚ぇな」

…。
間違いなく墨曜が使用している隠れ蓑を指している。
迷彩としては機能していないらしい。見る役人全部が、薄汚い布と罵って触れてこない。
広い意味で見るならばこの隠れ蓑は、絶大な効果を発揮しているわけだが、
墨曜の職人魂はいたく傷つけられた。
この男、手品もやるが下手の横好きで、町中での騒動しかり巧くないのだ。
その割りに自分の才能を過信している節があるので、
こういった己の自尊心にわずかでも傷がつくような事態になると、

「おい、ちょっと待ててめぇらっ」

「ぅあおっ!!!!」

「妙な叫び声上げてんじゃねぇ、並べバカ野郎、お前らな、人が丹誠込めて作った物をだなっ」

「…」

砂漠から湧きあがるようにして立ち上がった墨曜は、その怒りに振り回されるまま、
熱心にどれほど頑張ってこの迷彩を作ったかという思いの丈を、
身振り手振りを交えながらぶちまけ始めた。
突然の出来事に驚く役人だが、次第に落ち着きを取り戻してきたのか、
汚い布の下に隠れていた不審な男がよくわからない主張を繰り返している、
と現状を認識しはじめた。
最初は墨曜の話を勢いのままに聞いていたが、すっかり我を取り戻し、

「わかったわかった、おっさんの言うことはわかった、ああ、よくわかった」

「バカ野郎、何適当な返事してんだ、くそ、聞けっ、誰がおっさんだ」

「はいはい、そうだな、お前も家族が待ってるだろ、息子が泣くぞ」

「こ、子供なんて居ねぇよっ」

「あーあ、そうかそうか、独身男性か、はー、なるほどな」

「な、なんだそのなるほどなっつうのわ」

だんだん雲行きが妖しくなってきたのに、ようやく気付く墨曜。
役人達の冷たい目と、淡々と流されていく会話に違和感が発生する。

「まー、よし、それ以上のことは、ほら、署で聞くから、ほら、な」

「ほら、なってお前、おいなんだその綱わ」

「大丈夫大丈夫だって、形だけだから、形だけ、形だけ」

「な、何をさっきから意味のわからんことを…」

「意味わからん事言ってるのは君だ、ほら、早く手を出しなさい」

いかん、連行される。
役人は手に持った綱で墨曜を捕縛しようと近づく。
役人の前で不逞の輩が何か喋っていれば捕まるのは必定。
そんな世の中の条理に初めて気付いたかのように、
墨曜は自分の立場を鑑みる、そして、
脱兎

「ああっ、逃げたっ、お、追えっ、重要参考人だっ、逃がすなっ」

「ち、違う、その、くそぉおおっ」

猛然と走り抜ける。
気のせいだろうか、今の自分に既視感を覚える。
思いながらもなんとか振り切って、そのまま速度を緩めず次の目的地へと向かった。
渇いた風が墨曜を包む、足取りは早く今度は「延」側への街道へと入る。
今居た砂漠とは真逆の方向にあたる。
これまで酒家に潜んで様々に情報を集めたおかげで、
墨曜にはおおよその検討がついている。
相手の、その盗賊の動きについて、宛てがある。

「…遅かったか?」

何かが焼けた臭いがする。
少しだけ血の匂いも混じっているが、死臭でないのがわかる。
事件があったんだろう、足早に駆け寄っていく。
少し走るとひっくり返った貨車が見えた。
あの時の商人の隊だ。

「旦那様、旦那様…」

「ああ、お前達…よかった、皆無事か?」

「護衛の傭兵達が、大分酷くやられたみたいです」

おろおろと、全員の無事を確認しようと弱々しく集まる集団。
盗賊に襲われた直後らしく、すっかり意気消沈しており、
「盗まれた憤怒」を「命を助けられた安堵」にすり替えられている。
汚い手だ、墨曜は思いながらも彼らに近づいた。
当然、事と次第を聞く為だ。

「おい、だいじょ」

「ああああああああっっ!悪党っ!」

「なんだとっ、本当だっ、悪党だ、あの時の、貴様っぬけぬけと」

「な、ちょ、待て、落ち着け君たち、お、俺は正義の、ほら、鈴が」

「黙れ悪人、貴様が手引きして隊を襲わせたんだろう、荷物だけで飽きたらず、残った金まで奪う気かっ」

「ち、違う、ば、おい、お前ら何眼ぇマジにして」

問答無用!そんなかけ声にも似た声があがると、
今の今まで弱々しかった輩が、そこらの馬賊よりも荒々しい鼻息で迫り寄ってきた。
いかん、若い少年の集団は怖い、何をするかわからないから怖い。
夜中、あてもなくたむろする少年集団とその面影を重ねてしまうおっさん。
そういう問題じゃ無い気がせんでもないが、
ともかく、墨曜は再度逃げる。また逃げるから、

「逃げたぞっ、やっぱりそうだっ、追えっ、逃がすなっ、皮を剥いて逆さにつるせっ!」

「こ、こらっ、少年がそんな物騒なことを口走るなっ」

「黙れ貴様っ、旦那様の恨みを思い知れっ、食い物の恨みをとくと味わえっ」

「だから、違うっつうのっ!」

どだだだだだっ、すげぇ勢いで逃げ散る墨曜。
こんなはずじゃなかった、とはよく大人が使う言葉だが、
今の彼ほど似合う男は居ないだろう。
持ちうる限りの力を振り絞り、墨曜の人生上最速を記録し振り切った。
なぜさっきから俺は追われてばかりなのだ。
反省する部分がどこなのかすら解らない。まぁ逃げられたからいいか、
とりあえず追っ手が居ない間にもう一度整理しよう。

本来なら彼らに相手の風体などを訊ねて、捜査の足がかりにしようと思っていたんだが、
大幅に予定が狂った。それでも助かったことに、
聞かなくてもよく喋る少年達のおかげで、ある程度の情報は仕入れることができた。
僥倖と言うべきだろう。

今の事件、命を奪わないのは噂通り、ところが今回は金品もわずかに残した。
奪われたのは南から持ってきた食材。
十中八九、乾貨と呼ばれる干物の類だろう。
乾貨は、文字通り貨幣にも勝る価値を持つ干物だ。
中央じゃ海産物が干物になって、アワビやら貝柱やらフカヒレやらと、
様々な珍味が高価でやりとりされているが、それの南方から来た物だろう。
干した果物か、干した肉か、もしかするとツバメの巣だとか、
そういうことも考えられる。
ともかく軽くて高価な物を狙ったんだ。それはなぜか。

「既に金品は腐るほど持っていて、持っていけなかったから、先の仕事でがっつきすぎたんだ」

「なるほど、面白い話だがそれは思い違いだ、若いの」

すわ。
敵の数は?墨曜は一心不乱に走り出した。
例の盗賊に追いついてしまったらしい。
「らしい」という具合だ、
墨曜自身まだ現状を把握仕切れていない、あまりに唐突なのだ。
しくじった、久しぶりに頭使ってたから気づけなかったか。
考えるので夢中になっていたらしく、
盗賊に追いつくかもしれないなんて予測ができなかった。
声をかけてきたのが頭領らしいのはわかった。
その他に何人か居る様子だが、既に木々の裏へと隠れて正確な数や風貌がわからない。
外套の下に隠していた馴染みの矛を取り出す。
二本に畳んで常に携帯しているそれ、二本を繋げて長柄にして構える。
ようやく足を止めた。

「俺を若いとかおだてて、どうするつもりだ、このやろう」

大きな声で墨曜はそう叫んだが、敵方からは反応が無い。
ちなみに台詞は、ちょっとうれしそうに言ってる。
気配はあるから逃げ散ったわけではないのだろう、
墨曜の前方、道を外れて脇に入った暗がりに、
先ほど奪ったであろう荷物が見える。

そこに行くべきか、ここに留まるべきか迷う。

その迷いが脚に、身体に、仕草に出た。
後で墨曜は思った、3年ぶりの仕事っつうのはこういうもんなんだろう、
勘が鈍っている。
気付いた時には敵に先手を取られ、輝く刃を防ぐ側に回っていたのだ。
スガッッ

「やらぁっ!!!!」

キィンキィンキィンッカイィンッ
きらきらと星が瞬くように、金属同士がその破片を飛ばした。
墨曜の矛が四方を切り取り踊ったが、それをかいくぐって、
敵の頭領は反りのない短剣で、墨曜の胸元を引き裂いた。
一瞬冷えたと思った傷口が、そのまま燃えるように熱を持つ。
痛みが一瞬だけ顔を歪ませた、大丈夫だ浅い、それでも傷を負ったのは確かだ。

「ぜぃやぁっ!」

痛みでようやく何かを思い出した。
ふわふわとして、今ひとつ落ち着きのなかった、
脚が、腰が、身体が、ピタリ、何かに合致したような気がした。
墨曜の矛が唸る。鋭い一撃が旋を纏って放たれる。
じわっ、焦げるような音とともに、手応えを伴った血飛沫が華開く。
赤い液体が確かに散った。しかし、次の瞬間。

「なっ!!!!!!!」

ボゥッッ、轟音とともに突如、飛んだ血液が発火した。
返り血は避けようがない、つまり、その発火した物は避けられない。
墨曜の全身を一瞬にして炎が包み込んだ。
すぐに地面へと転がりもみ消す。
その間も相手の位置だけは見失わないようにする。
瞬間のことだ、火はすぐに消えた。
焦げ臭さが辺りに漂った。
既に敵の気配はなくなっている。

逃げられた、そんな言葉が浮かんだがすぐに思い直す、見逃された。

「しかしやられた…秘術使いとはな」

秘術とは、己の血を媒介として様々な現象を起こす術式だ。
修練で会得するものではあるが、そう簡単に覚えられるものではない。
ただのこそ泥と甘く見ていた。
苦い顔をして気配の消えた森に立ちつくす。
ともあれ荷物はそのまま置いてある。
とりあえず、それを取り返したのだからよしとしよう、と墨曜はゆっくり荷物の検分に近づいた。

「居たぞ盗人っ!、あああああっっ、に、荷物っ、ま、間違い無いな」

「!な、なんつー間の悪い時に…」

「間の悪いというのは、逃げ遅れたことだな、わかる、眼で解る」

「だ、だから違うっつって」

「問答無用、皆の衆、居たぞ、盗人が荷物を見てニタニタ笑ってるっ」

「ニタニタしてるのは、もとからだ…って、増えてやがるっ」

町中で追われた時の3倍くらいの人数が、徒党を組んでやってきた。
これはまずい、洒落にならない、血の気が引く音を耳に覚え、
墨曜は這々の体で逃げた。
どこにそんなに人数が居たのか、そんなに居たのになんでやられてんだよと、
様々思わないでもないが、ともかく墨曜は逃げた。
なぜ俺はこんなに逃げ回らなくてはならないんだ。

この後、役人からの触れと若者達の声によって、
色黒の悪い奴が盗賊の首謀だと評判が立ち、
辻々に尋ね物の立て札が立ったという。

つづく

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(09/01/02)