鈴音御使
「おい、リン、リン、こっちだ」
「あらいやだ、悪党だわ」
「バカなこと言って…って、てめぇ、昼見てやがったな?」
「なんの事やら、顔の悪い人には教えられません」
夜遅く、もはや朝が近いほどの誰も彼もが寝静まっているその時、
リンは『いつもの通り』夜の雪隠へと出かけてきた。
雇われてからずっと続けてきた演技で、夜決まった時間に用を足しに行く。
だがこの夜は、かわやへの途中で、昼間の悪党=墨曜に止められた。
屋敷の中へと、どうやって侵入してきたのかわからないが、
現在の状況だけで判断すれば、彼は悪党で申し開きの余地は無い。
「冗談言ってる暇は無ぇだろ、どうだ?」
「噂通りですよ、何もかも」
「何もかもか」
「私が知っている限りの噂ですよ、人付き合いの良さ、羽振りの良さ、人間味の良さ」
「…そうか」
墨曜は少し顔に影を落とした。
もともと浅黒い顔は、暗がりのせいでその表情が、深刻そのものに見えている。
それを器量悪しき娘が見守る、睫毛が長い、そこだけは唯一女として秀でている。
甘鈴(カンリン)、それがこの娘の名前だ。いや本当かどうかはわからない、
元来は捨て子だったのだ、拾われて付けられた名前が甘鈴。
「ねぇ」
「俺の聞いている噂もほぼ間違いが無い」
「だ、だけど」
「捨ておけはしない、それともお前は、恩を返さぬつもりか?」
「それは」
口ごもる甘鈴。きゅぅと口元を小さく結び、仕方ないという表情をする。
捨て子だった彼女を拾ったのは「天帝」だった。
そういった子供が集められたのかもしれない、それは解らない、
解らないが、彼女にとっての親は「天帝」であり、その為には身命を賭す覚悟がある。
頭でだけでなく身体も心もそう解っている。
今、墨曜と甘鈴は一つの使命を受けてここに居る。
この県令の悪事を暴き、それを絶やすこと。
「いいか、関税を下げ交易を多くし、その利潤を拾い上げると同時に、
盗人どもとも手を結び、その利潤をかすめている、それが事実だ」
「う、うん」
「あとは証拠が要る。流石、宰相府直属の県令だ、頭がいい、容易にシッポは出さない」
「で、でもさ、ヨウさん、だからって実際困ってる人って、い、居るのかな」
戸惑いがちに甘鈴が訴える。その瞳は少し涙を帯びて、哀しげだ。
それをじっと見返し、墨曜は首を横に振る。そして諭すような声で言う。
「お前の言うことは解る。だけど、目こぼししていいとはならない」
「けど今回は【鈴】の復活を知らしめるのが目的でしょ?
それならもっと他に悪い奴が、隣の街だって宰相府の管轄で、
ここより遙かに悪い噂があるのに」
「だからこそだ。この仕事には政治的、戦略的な意義も含まれている。
一つは、ぱっと見、悪く見えないことすら暴くということで、他の悪党へ見せしめとする。
もう一つは、俺達の復活が露見してからでは壊しにくい闇を先に潰す。
その点からここが選ばれているんだ、解るよな」
説明口調、まるで自身に説得をかけるかのように墨曜は並べた。
間をおいて、もう一度甘鈴の顔を見た。
相変わらず納得いってない顔つきだが、静かに頷いた。
「解りました」
「いい子だ」
「ヨウさんが融通の利かない、頑固オヤジで、説教臭いおっさんだってことがっ」
「お、ま…くぉら、リンっ」
「五月蠅い、人呼びますよ、もう時間です私は戻ります、はい、さよなら、ぶーだ」
言い終わるとすぐにきびすを返して寝室へと戻っていった。
あの小娘…、怒りを必死に沈める墨曜。
まぁ人間てのは図星を突かれると怒り狂う生き物だから、言われた通りなのだろう。
苦虫をかみつぶした顔で、暗がりにまた墨曜も潜る。
しかし、それにしても
意義を説いた墨曜とて、納得づくというわけではない。
いや、意義には納得している、だが、その後の事を思うと、一抹の不安がよぎる。
市井での評判がいいというのは、差し支えがある。
【鈴】の正義はどこにあるのか。誰の味方なのか。
コツン、頭を叩いて自分を諫める。
古参の俺がそんなこと思ってちゃいけないねぇ。
いつもの、悪い人相に戻ると今度こそ、暗闇に消えた。
「うー、ねむいー」
独り言。
それをやってから、初めてリンは寝床に戻る。
あくまで『いつも通り』に過ごしている。
ただいつもと違って、このあとすぐに寝付けないでいる。
ここに雇われてからひと月ほどだが、確実にその内部に浸透し、
理解していくからこそ、情が移るのにも似た、執着が芽生えている。
それが任務の邪魔になりつつある。
「眠れないの?」
「!…姐様…いえ、その」
寝所で隣から声がかかった、姐手伝いだ。
甘鈴が寝返りを打っていたせいだろう、起きて声をかけてきたらしい。
申し訳なさそうにそちらへと顔を向ける甘鈴。
その顔を見て、姐手伝いが微笑み返す。甘鈴から言葉をかける。
「起こしてしまったようで、申し訳ございません」
「いいんだよ、お前を見てるとね、なんだか妹のようでね、世話を焼きたくなるの」
「妹?」
「ええ、今じゃ肉親の一人も残っていないけど、妹が居たの」
しんみりとした口調で唐突に話し出した。
夜といっても、もう明け方が近い。今から寝直すと寝坊をするかもしれない、
それならばこのまま語り明かして、朝を迎えるのもよいかも。
甘鈴はそう思い、正面を伺う。姐手伝いもそう考えたのか、
寝ることを放棄した風がある。
ちなみに断っておくが、この手伝いの姐様は、言説で伺える年齢より遙かに若い。
すっかりおばさんじみた台詞と物腰が整っているが、
若い内から苦労をしたせいだろう、まだ、二十代後半なのに、
旦那様の奥方と言っても差し支えないほどの熟成っぷりだ。
苦労は人間の年輪だと、彼女自身が言った言葉だが、
その台詞すら風格どころか何もかもを物語っているではないか。
甘鈴はそれを受けて、つくづく、私もこう見えるのだろうかと、
一抹どころか、人生最大の不安に陥れられている。
ちなみに甘鈴は辛うじてまだ十代だ、しかし既に大人びたとは違う、
女としてよくない何かの片鱗が見えつつある。
本人少し気にしているが、見えないふりをしている。
以上余談。
「ここに来る前のことだけど、父親はロクデナシで随分前に出ていったきり、
母親と妹と3人で暮らしていたの、3年ほど前かしら中央に住んでいたのだけどね」
「3年前、中央?」
「そう、ちょうど政変があった時よ、宰相府が天帝になにやらって、
世の中が随分変わったじゃない、あの時よ」
うわー。
甘鈴は話の展開がすこぶるよろしくないと予感する。
だが、話好きの姐手伝いは、そのまま気にした様子もなく、
相変わらずの幸薄い顔で続けていく。
気のせいだろうか、何時にも増してこの人が不幸に見える。
甘鈴が眼を細めて見てしまう、陰の後光とでも言おうか、そんな物が漂って見える。
「政変の日、凄く大きな地震があって家が潰れてしまったの、
お母さんはそのとき屋根の下敷きになってもうそれきり、
必死になって妹と二人でなんとか逃げたんだけど、次の日から暫く、
世間の情勢不安定になったじゃない?そこで、悪い人に捕まって、
酷いところで労働をさせられて…妹はそんな中ですっかり弱ってしまって。
心が弱るとすぐに何かに頼ってしまう、それがいけなかったの、もっと悪い人に捕まって、
気付いた時には薬漬けでダメになってしまって、手遅れだったわ。
私もこうなってはいけないと、逃げ出したんだけど、宛てがあるわけでもないし、
それから屋根も壁もない暮らしが続いて、流れ着いたこの街で、
宿場で手伝いをしていたんだけど、そこでお客としていらっしゃった旦那様が、
不憫に思って雇ってくれたのよ」
「そんな、え、絵に書いたような不幸」
「不幸…かもしれないけど、今は幸せよ、働いて、屋根もある所でちゃんと寝られて、
ご飯も食べられる、旦那様のおかげで、ようやく人並みになれたのだもの、
お上の政治についてはさっぱりわからないけどきっと、
うちの旦那様みたいな人が偉くなれるならよい世の中なのよ、知ってる?
古い言葉で幸福を「北鈴」て呼ぶの、旦那様はきっとそうなのよ。
多分3年前の地震は「南鈴」だったんだわって」
「そ、うですか」
姐手伝いは薄倖ぶりを顕わす眉根を寄せた笑顔を見せた。
甘鈴の頬に一筋涙が流れた、それに気付いた姐手伝いが、
泣かせるつもりじゃなかったのよ、とおろおろとする姿を見て、
また、なんとも言えない感情に食いつかれた。
この人にとっては、私もヨウさんも南鈴なんだろう。
政変の地震というのは、間違いなく鈴音御使と宰相府との間で、
何かあった時に発動したものだろう。その頃はまだ、
甘鈴は「鈴」に属していなかったから仔細はわからない、
けど、間違いないだろう。とばっちりを下々の人は常に受けているのだ、
それを思うだけで、甘鈴が泣くのはそんなところにある。
仕方ないよね、で済まされない何かが、最近増えている。
このひと月で、そういうことを考えることが多くなってしまった。
「そろそろ朝ですね、少し早いですけど仕事に参りましょう姐様」
「そう、ごめんなさいね、甘鈴」
「いいえ、姐様の意外なところが知られて嬉しかったですよ」
無理に作った笑顔で、とんと起きて背を向けて着替え始める。
背中に向けられるなんともいえない視線。
これ以上この人のことを知るのは、任務に差し支える、
ぎゅっと我慢しようと、無心になろうと甘鈴はてきぱきと仕度を整える。
「甘鈴は働き者ね、これからもよろしくね」
にこり。
甘鈴は、笑顔だけで言葉は返さずにおいた。
「これからも」なんて言葉にどう接していいか解らないんだから。
冗談でもそこまで不幸になるまいといった生い立ちを、
唐突に聞かされるという災難に遭いながら、いつもの通りを続ける甘鈴。
「さて、朝ご飯の用意をしないとね」
「あ、今日は」
「そう、劉さんがお休みの日よ、甘鈴、野菜を用意して」
「はいな」
すっかり仕事状態になった。この日、料理人が暇をとっているらしく、
慌ただしく始まることとなる。空はずっと晴れている。今日もいい天気らしい。
(09/01/02)