鈴音御使


「延」という国がある。
長く続く天帝支配下の国、代々の天帝が世を治め、
遙かに遠い過去から脈々と国の形をとっている。

いや、いた。

今が天帝の世とは、誰も思ってはいない。
天帝には、今、権力が無い。権力が無ければ国は動かない。
ならば今は、天帝の世ではない。

権力は楽器だと、誰かが例えた。
奏者が下手ならば誰もが耳を塞ぐことになるし、
扱いをおろそかにすればたちまち傷つくし、
手入れを怠れば音がズレる。
そして、一度でも傷つき音がズレた楽器では、
奏者がどんなに名手に変わろうとも、もう良い演奏などできやしない。

だから、手入れのために音を糺(ただ)す道具が必要だ。
かつては、音階を調律するための「鈴」があった。
なに「かつて」という古い話だ。よく言うだろう「いつかまた」って。
それと同じ、空白を定義づけた便利な言葉だ。
実際そんなものは、無かったし、これからも来ないのさ。

「お寒い話じゃないか」

「そうに決まってるだろう、まぁ、お上のことなんざどうだろうと、
俺達の暮らしは、永劫変わることは無いんだがな。
どうせ同じ鈴なら、ああやって客が来たのを報せる鈴の音がいいねぇ」

寂れた酒家で、店主とおぼしきオヤジと、彫りの深い浅黒い男が話をしている。
からんころん、渇いた音色が件(くだん)の鈴から漏れた。新しい客が入ってきたらしい。

「おいおい、随分薄汚ぇ店だな」

「あんたも、薄汚い格好だな」

「へ、砂漠を渡った人間には最高の褒め言葉だな」

がははは、笑いあう店主と新しい客。どうやら客は、遠く南からやってきたらしい。
延の国の南側には、広大な砂漠が広がっている。
その砂漠の途中には、延とは違う国や、もっと小さな村や街がある。
ここは、「延」から見れば砂漠への出口。砂漠から見れば「延」への入口。
交易の交差点となる、大きな街だ。
人の往来があるから商売ができて、商人が来て、仕事ができて、
雇われ人が来て、金が集まり、悪人も集まる。
そんな街のはずれにある、小さな酒家だった。

「おう、兄さん、つうには年喰ってるか」

「よけいなお世話だ」

「いや悪いな、それよか、あんた南方の人かい?」

入ってきた新しい客が、珍しそうに先客を見て言う。
酒家のオヤジは、新客のために何かを作っているらしい。
包丁の音が、トントンと聞こえている。

「ああ、やっぱわかるかい、いい男だろ」

「南の方で商売してきたからな、お前さんみたいな顔の悪い奴がいっぱい居た」

「悪いのは顔じゃねぇ、人相だ、っつうか、それもどうだおい」

浅黒い顔を赤くして、少し怒った様子。顔色のせいもあるだろうが、
風体妖しいこの男、素性も年齢も不詳だ。外観から判別つけがたいが、
カタギではない、なにより若く無いそれはわかる。

「どう見てもおっさんだもんなぁ」

「あんたな、初対面の相手にだな」

「おらよ、焼豚お待ちどうさん」

言ってる最中、新客に皿が振る舞われた。
「おっさん」と言われて憤慨するのだから、まぁ、そんな年齢なんだろう。
この年頃の男は繊細で壊れやすいから気を付けないといけない。
新客は心得たものか、それ以上はバカにすることなく皿に箸をつけた。

「まぁ、もっともこのあたりの奴らは、みんな日に焼けてるから人相悪く見えるがな」

「他の奴たぁ、彫りの深さが違うんだぜ」

「そんなもんわかるか、どいつもこいつも顔半分くらい布で覆ってやがるのに」

「いや、折角自慢したんだから、もう少し持ち上げろよ。」

「まぁ、それよか景気はどうだい?」

「店主、お前も流すな」

「そうだな、警護の仕事なら増えてるぜ」

「おい」

「そいつは有り難い、仕事欲しがってる奴が何人が来てるからな」

「…聞いてよ、ねぇ」

「うるせぇ、黙ってろ、おっさん」

店主が『おっさん』を制止した。傷ついたらしく、うなだれるように静かになる。
この手の酒家は、職業安定普及所みたいなことまでやっている。
賑わっていれば人手が足りなくなるのは必定、
そこで効率よく人を配分するために、人と情報が集まる酒家がうってつけなのだ。

「お、まさかこの黒男じゃないんだろうな?」

「色男と呼べ」

「違う違う、こんな愛想の無い奴、俺ぁ紹介しねぇよ」

なぜか、客と主人と両方からバカにされているが、
悪気があるわけじゃない、そういう気質らしい。
それにしても面白くないのか、新客に出された焼豚をちゃっかり箸でついばむ黒男、
主人も客人も、そんなことは気にとめない、器量の大きさというか、
おおらかさがある。これも気質だ。歯に衣を着せないそういう奴が多い。

「折角この頃、この街の関税が下がったつうのに、盗賊が多くてな」

「物騒なもんだな」

「まぁ、頻繁だっつうだけで、実際、悪党の中身はこっちの方がいいんだけどよ」

「…どんなだい」

「ここらの奴ら、命は取らねぇんだ、金品は根こそぎ持っていきやがるが、
命だけは助けてくれる。まぁ、数が多いから商売としちゃぁアレなんだが、
それでも命あってのなんとやら…」

焼豚をつまみながら、情けない顔で商人が語る。
店主は可哀想という顔をして見ている、人情家なんだろう。
黒男は興味を持った様子で、その話にもう少しつっこむ。

「それでもこの街を選ぶってことは、関税がそんなに安いのかい?」

「ん?まぁ、なんだ、計算してみるとだな、取られる額が少しだけ大きくなるんだが、
命の危険が無ぇっつう保険を考えると、まぁ、仕方ないって具合だ」

「そうか難儀だな」

「おう、だから腕っこきの奴をまわしてくれ、頼むわ、今度の荷物でかいんだよ」

哀願する顔もどこか愛嬌がある。根っからの商人といった顔つきだ。
店主はそんな顔で懇願されて断れるわけもなく、
やれやれと台帳に目を通している斡旋する輩を探しているんだろう。

「さて…邪魔した、ごっつぁん」

「おう、気をつけな、また次にいい仕事紹介してやるよ」

ぴらぴら、手を振って黒い先客は外へと出た。
出てみると店の脇にいくつもの貨車と見張りが居る。
例の商人のものだろう、話の通りの大荷物を見上げながら、のらりくらりと歩いていく。

「なぁ、何が入ってんだ?」

「ぬ、ぬ、ぬ、盗人か、盗人だな、お、お前盗人だな、そうだな、か、顔で解る」

「な、何を言っているんだ君わ…」

なにげなく声をかけたところ、緊張が極限に達しているとおぼしき少年が、
ガチガチと震えながら、いきなり槍を向けてきた。黒男は悟る、
しまった、最近流行のキレやすい少年ではないか、と。

「ち、違う、落ち着け少年、おじさんはそんな悪い人じゃないぞ」

「ど、どうだか、わ、わかってるんだぞ、だ、旦那様が顔の悪い奴わ、盗人だって」

「だから、人相と顔色の悪さを一緒にするなってだな」

「ほ、ほら、今認めた、お、お前悪いんだな、顔が主に」

「し、失礼な、聞けバカ野郎っ、少年、落ち着け、お前の未来は明るい、だから、そんな物騒な」

「だ、だ、黙れ、悪党、旦那様が仕入れた、食材の数々、お前みたいに素性妖しい奴にわ」

「あ、妖しくないぞ、姓は墨(ボク)、名は曜(ヨウ)、少し前まで宮仕えだった優れ者だぞ?」

墨曜と名乗った黒男、必死の作り笑顔で敵意の無さを顕わす。
いぶかしげに少年は墨曜を睨み付ける、その視線は鈍く濁って既に尋常じゃない、
こいつの方が絶対危ない。思うが、心にとどめておく。
少年を刺激してはいけないと、本能が諫めている、
流石おっさん、人生経験から滲み出たような言葉だ。

「宮仕えだった、って過去形なところが、あ、妖しい」

「宮っつう所はだな、大人の事情が様々あって、いや、そんなことよりも、
俺ぁ宮で手品をしてたんだ、そうだ、見るか、ほらここに一枚の布がありまーす」

先手を打つべく、墨曜がさらっとどこからともなく布を取り出した。
黄色地に赤の縦縞が入っている安っぽいありふれた布だ。
どんなに危うかろうと根っこは少年なのか、
手品に興味を示したようだ、いける、
墨曜は確信に基づき、妖しい手つきと妙な語り口で手品を続ける。

「えー、これを、一度握りこみますと、1、2、ほらっ!
なんと、縦縞だった模様が横縞になってしまいましたー」

「………」

「…ましたー…ど、どうだ坊主?お、面白…」

「くせ者だっ、みんな、悪人だ!」

「バカ野郎っ、いきなり何言って…って、何人雇ってんだおいっ」

うずらうずら、声にかけつけた怒濤の足音。
その数、ぱっと見ただけで10人はくだらない、そんな数相手にできるか、
布を放り出してすぐさま背中を向けた。
途端に、後ろから怒号が迫ってくる。

「待て悪人っ!」

「バカ野郎、何も悪いことしてねぇだろうが」

「いたいけな少年の心を踏みにじった」

「つ、付き合ってられるか、畜生っ」

ずだだだだだだ、凄い速さで逃げ散った。
その後を「探せ」「血祭りだ」などと口々に若者達が追いかけていく。
街の人はこんな光景が珍しくないのか、にこやかに見守っている。
その見守る視線の一つに、瓶を抱えた女の姿があった。

結い上げた髪をまとめ、健康そうな色つやをした顔。
ただ美人とは言わない、平々凡々とした女の顔をしている。
どこかの手伝いらしく、質素な衣服に身を包み、
おそらくは買い物の帰りなんだろう、そんな出で立ちで、
一部始終を見守っていた。

「この辺りも悪人が増えたようで、怖いですね」

「そうですねリン、あなたも拐かされないよう気を付けなさい」

「あら嫌味、私のような器量無し、誰も貰ってくれませんよ」

「気だての良さを買って貰えるわよ、きっと」

「そんな悪党嫌です、姐様」

少しむくれた顔を見せる娘。それを微笑ましく見守るもう一人の女。
たおやかな感じで、こちらもそんなに器量が良いとは言えない。
ありふれた手伝い婦人だろう。急ぐのか、そのままそこを後にした。
向かう先は大きな邸、県令の邸宅だ。
流石に商業都市を包括する県だけあり、その主の邸宅は他に見ないほど豪華である。
二人はその大門ではなく、裏口から厨房へと入った。

「さて、直ぐに夕飯の仕度を、リン、火をおこしておいて」

「はいな、姐様」

リンと呼ばれた手伝いは、言われるままさくさくと厨房を整える。
そして、奥の部屋で休んでいるであろう料理人を呼ぶ。

「劉さんお願いします」

「あいよ」

劉さんと呼ばれた40歳半ばくらいの男はのっそりと起きあがる。
頑固そうな顔とどこか油断ならない顔つきをしている。
どうやら若い頃に貧しさに負けて随分ヤクザなことをしていたらしく、
右腕には大きな傷があり少し不自由らしい。
しかし、今は大人しく優しい料理人だ。現に、

「リン、今日はいいのを仕入れてきたな」

「うん、南から商人がいっぱい来たらしくて、色々あったよ」

「南の物産か、こいつは立派な"賄い"が作れるぜ」

「うしし、お願いね、劉さん」

などと、小娘と共謀して小ずるいことを考えているくらいのもの。
顔に似合わず愛嬌もある憎めない男だ。
他にも何人かの手伝いや掃除人が居るが、どれもこれも仲がよい。
家族的な雰囲気があり、そんな仲の良い使用人達の様子がまた、
この県令の風聞をより素晴らしいものに仕立てている。
事実、使用人に対して、何か理不尽を突きつけたということはない。
それどころか、羽振りが良いことでも有名だ。

金払いの良さは人の良さと、県令その自身の評判も上々だ。
政治家としても、ここ最近、関税を下げることで街の景気を上向かせたことで、
成功している。次の問題は治安のことだが、新たに自警団を組織し、
それらの活躍あってかこの街周辺では殺人の件数が減り、
実に住み易い街になってきている。
住んでいる人間にしてはこんなに素晴らしい県令はかつて無かったと誉れ高い。

つづく

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(09/01/02)