「一豊公紀」ではっきりと否定された近江の文献
(山内一豊の妻)山内一豊夫人顕彰会へようこそ
※追記 上の原文部分を、ひらがなにして分かりやすく記してみます。(2020年8月13日)

第六
:そのほか、一豊公より拝領せしものと云い伝えたる武器武具等あれども在銘その他立証すべき特徴なき限りは強いて疑うべきにあらざるも、その母公の所持せられ給いし鏡のごときは青銅製肉厚の円鏡にして、決して当時のものにあらず。また、母公の煙草を刻み給いし台板に代用せられたりという武佐枡あれども、煙草を日本に栽培せることは、慶長以後のこと(前のページ)

(ここから→)に属すれば是に先立つ天正時代に既に煙草を刻むが如きはこれまた無稽の説というべし。是れ、その疑うべきの第六なり。
以上の理由により長野氏の由緒書は全く信ずるに足らざるものたることを知るべし。然(しか)らば、長野氏とは全く没交渉なるかというに、必ずしも然らざるが如し。思うに長野氏はある由緒により公の転封後、母公の墳墓の保存を託されしにあらざるか。又、松野尾章行は、長野氏の邸宅はもと山内家の別墅(べっしょ)なりしが遠州転封に当りこれをその邸番人たる長野氏に賜い、而(しこう)して墳墓の保存を託せしにあらざるかと。是れ、亦(また)一説としてここに付記し他日の研究をまつ。尚、坂田郡志に記せる、公及び母公に関するこの地方の伝説の如きは後世に至り付会せられたるものにして彼の竹取物語によりてかぐや姫の故跡を伝え八犬伝によりて伏姫の遺跡を説くものと何等の択ぶなきなり。       
           
(太字部分は意味を分かりやすくするために、こうしました。 川上)

上は手書きの原稿。編纂主任の沼田頼輔博士の手か。下は完成した山内家「一豊公紀」。
「山内一豊公」「法秀院(一豊公生母)」について書かれた文献の中で、土佐・山内家から刊行されている「一豊公紀」(全)ではっきりと否定されているのが上記のように「長野家文書(由緒書)」と「坂田郡志」の部分です。
  ・・・6つの理由により長野氏の由緒書きは全く信ずるに足らざるもの・・・・・、「坂田郡志」は後世において付会せられ・・彼の竹取物語かぐや姫の故跡を伝え・(里見)八犬伝の伏姫の遺跡を説くと・・何等の択ぶなきなり。・ と、まことに厳しいものです。次回に、その内容を記してみたいと存じます。
     宇賀野長野家の由緒書は偽書
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