郡上説の系図と一覧へ
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郡上での系図
(お詫びと訂正:この系図を「郡上最古の系図」寛文6年・1666年に書写としていましたが、「白鳥町史」を読み違えていました。同項目収録の歌書がこの年号に書写されたことに自分で気付きました。最後の常久で終っていますが、常久は1692年に7歳で死んでいます。そのことが記載されているわけですので、それ以降に書写したということがわかります。(2006年1月30日)川上記。
此歌書本書急々ニ及返進候故、急書写申故落写誤写可有御座候
寛文六年丙丙午八月十三日 慶祐書
このように、この歌書≠ニ書いてありました。この歌書≠ニは系図の次に出てくるものでこれを書写したのが寛文6年と考えるべきでした。
「白鳥町史(史料編)」P.565 市村静子家文書 一 東家遠藤家聞書(抄)
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なお、寛文6年は
6代・遠藤常友治世下です。
※遠藤常友の在任期間(1646年〜1676年)は30年。
最後の常久の在任期間(1689〜1692)は3年で7歳で死去。
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