郡上での系図(訂正:この系図を「郡上最古の系図」寛文6年・1666年書写≠ニしていましたが、「白鳥町史」をよく読むと同項目収録の歌書がこの年号に書写されていたことに気付きました。最後の常久で終っていますが、常久は1692年に7歳で死んでいます。ですから、それ以降ということがわかります。2006年1月30日 川上記。)
「白鳥町史・史料編」
市村静子家文書
「東家並遠藤家聞書(抄)」より
遠藤慶隆と山内一豊陣立てへ
慶胤の子三十郎は土佐藩士
※慶隆=左馬助(35歳)
※一豊=伊右衛門(41歳)
※胤基=大隈守(   歳)
※佐藤秀方=六左衛門
※ 慶胤=助次郎
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※胤基=大隈守