御侍中先祖系図帖の遠藤三作系図
が
見性院の甥・遠藤三十郎
(安右衛門)亮胤、
御由緒を以って土佐藩に召し抱えられる
御侍中先祖書系図牒
御由緒とは叔母にあたる見性院の血筋のことになります。
忠義公御代元和四午年於江戸
御扈従相勤其後御馬廻被仰付之
不詳
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御宛儀
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美濃郡上の系図と全く一致
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写真
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(山内一豊の妻)
山内一豊夫人顕彰会へようこそ
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郡上の系図
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遠藤安右衛門亮胤
同五未年知行弐百石被
下置
助次郎慶胤倅也
本国美濃 遠藤
※ 元和4年は1618年
高知に住んでいた御子孫の遠藤春海さん
講演「見性院の謎を求めて」へ
御側被召仕
遠藤助次郎慶胤は千代の次兄(長兄は慶隆)⇔慈恩寺の系図へ
御侍中先祖書系図帖の遠藤三作系図
(高知県立図書館蔵)へ
美濃郡上の系図と全く一致
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(↑本物の写真へ) ↑(資料提供は高知県立女子大学・故丸山和雄名誉教授による。)