高砂や
 
この浦舟に 帆を上げてエ│ 
一豊・千代結婚!
 13 一豊と千代の結婚 また3年ほどの年月が経ちました。近江唐国(からくに)に領地を与えられた一豊は一時の平和をうる事ができました。この時、近江に住んでいた千代と回り逢うことになったのです。 二人の結婚が整った頃、千代の母は本願寺の教如(きょうにょ)上人(しょうにん)に偶然出会いました。 再婚の夫・永井隼人が戦死したすぐ後の悲しみの中でのことでした。 石山合戦の真っ最中で教如(きょうにょ)上人(しょうにん)はあちらこちらで味方を尋ねて奔走しているときでした。 教如(きょうにょ)上人(しょうにん)は千代の母を得度させ、照用院(しょうよういん)釈友順(しゃくゆうじゅん)と法名を与えました。 母は千代の結婚を見届け、安心して故(さと)の美濃・苅安にある(とう)家と遠藤家の菩提寺・戸谷庵(今の乗性寺(じょうしょうじ))へ入りました。(つづく)
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