12 慶隆の鎧 それから数年、千代の生家は飛騨の三木の攻撃を受けるなど大事件が起りました。 そして1570年(元亀(げんき)元年)、姉川の合戦が起りました。 信長・徳川の連合軍が浅井・朝倉を総攻撃したのです。 一豊・慶隆(よしたか)軍は信長軍に入っています。 千代にとっては義理の父である永井隼人は浅井長政の陣営に入っているのです。 千代母子と、兄慶隆(よしたか)は敵同士になるという、つらい戦いでした。 信長の追及を逃れるため千代母子は(あん)東家の計らいで近江の国へ逃れ身を隠しました。 反面、兄慶隆(よしたか)は、姉川の合戦の功で信長から立派な鎧を拝領しました。 今は八幡町の慈恩寺とご縁のある新町の斉藤家に文化財として守られています。

信長より拝領の

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斉藤美術館蔵*八幡町
遠藤慶隆の鎧