11 一豊と通姫(安東家・北方殿)が再会 このとき(あん)(とう)家には山内一豊の姉(つう)(ひめ)が嫁いでいたので、ある日一豊が尋ねてきました。 山内一豊の父盛豊(もりとよ)は、織田信長に攻められ岩倉城が落城したとき戦死してしまいました。 このため、一豊も流浪の憂き目を味わっておりました。 (つう)姫と二人で、父や母のことを語っているうちに同じ様な運命にあった千代のことも聞きました。 姫は一豊に言いました。「千代の兄上は郡上八幡城主の遠藤慶隆(よしたか)様です。この(あん)(とう)の下の姫が去年、慶隆(よしたか)様に御輿入れなさり、折角、赤ちゃんも出来たのに産むと直にお母様のほうがお亡くなりになられたのです。慶隆(よしたか)さまも随分お寂しいことでしょう。そのことで随分大変だったんですよ。」 二人の話はいつまでも尽きませんでした。(つづく)  (郡上の東氏居館跡から出土した「あんとう」木簡)↓
※ 郡上市大和町の東氏居館跡庭園は中世武将の庭園として国名勝に指定(1987年)されているが、そこから出土した木簡には「進上あんとう三郎」と記されている。「あんとう」とは東常緑の兄(二日町城主・安東三郎氏世(うじとし)が継いだ安東家のことである。大和町ホームページ(木簡の写真)へ   ※ この庭園からの中世の出土品は4万点を越す。

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