36●郡上八幡で「一豊& 千代サミット」開催決定

 見性院のこのお大切な品の中に古今和歌集があったということは、これはね、ちょっとやっそっとの人では直筆の古今集はもてませんですね。だからお血筋であったからこそ持てたんではなかろうか。これは私達にとってはプラスの証拠になるんですね。しっかり書いたものがないと断定をするな。学者の方で厳しく言われる方もありますけれども、これ以上もう調べようがない気も致します。又、何か天から降ったようにいい史料が出れば別ですけれども。けれども色々な状況を総合いたしますと「おまつさま」のほうの証拠は一つずつ消えていく。お墓とか文書(もんじょ)とか。そして見性院様のほうは、プラスの要因が挙がっている。こういうことで丸山先生も論文をお書き下さったんですね。そして郡上も、しっかり研究をやってほしいということで、去年だけでも何回かお殿様がおいでいただいているんですよね。ここで来年の秋、一豊&千代サミットが郡上八幡で行われることになりました。去年は掛川、一番最初お城を作って入られた掛川でやられまして、そして今年は土佐でやられまして、来年は奥方のほうの所でということで、色々な状況があってでございますけれども来年は八幡でサミットが行われるということになっています。この間、野田(商工観光)課長さんからお聞きしますと、掛川がですね来年のサミットには250人引き連れてくるから早く日にちを決めてくれと。でないと宿の予約が取れない。250人いっぺんに泊まろうと思うと千虎しか泊まれない。だからあそこへ予約するには日にちが決まらないと出来ないので早く決めてくれと連絡があったそうです。よその方がそういうふうに一生懸命になっていらっしゃるわけで、八幡もですね来年は町を挙げてサミットを成功させたいと思うわけです。私は歴史に間違ったことが書かれていて、それが本当だということになってしまうということは非常に残念な事だと思います。だからこのあたりで、もう末になればなるほど研究ができなくなりますので、今のうちにしっかり研究したい。そして、現在でもこれだけの史料があるんですから、八幡は自信をもってサミットを行うことによって、町興しの一助にもなればと思います。このような訳で皆さんの御協力を得たいと思っております。残念なことにこの間、顕彰会会長の山田(秀道)さんが急にお亡くなりになってしまいまして、誠に顕彰会は力を落しているところでございますけれども、又これ何かと立て直してですねやりたいと思うわけです。どうぞ新しく顕彰会へもお入りをいただいてでもですね、どうかお力をお貸し願いたいと思います。
 
   次へ進む⇒   目次(その5)へ    ←元へ戻る

(山内一豊の妻)山内一豊夫人顕彰会のホームページへ

 山内一豊夫人顕彰会(郡上八幡)トップページ「朝史の日記」へ