33●若宮外記仲間の人々(五藤家と外記)

 それから、もう一つだけ申しますと、先ほど「おまつさま」が浅井長政からお父さんの左馬助の領地を安堵されたという事を言いましたですね。手紙がありましたよですね。安堵状といいますが。ただ今でも、若宮外記仲間、プリントに書いてありますが、外(そと)、記す(しるす)と書きまして外記仲間(げきなかま)という16〜17名くらいのお仲間が、この若宮氏の領地とお宮さんを守っていらっしゃる。どういうふうにして守っていらっしゃるかは判りませんが、そこから利益が少々上がる。その利益でお宮さんのお手入れをしたり、絶えてしまった若宮の回向(えこう)をしていらっしゃるそうです。その人達が外記仲間という仲間を作っていらっしゃるんだそうであります。そこで、この外記仲間というものは一体どういうものかということ、どこから「外記」という名前が出て来たのかということを研究する必要があるわけです。これは、私の従兄のものが東京のほうにおりまして、この人はいろいろなものを書いている人で歴史の研究をする人であります。宮内庁の中だろうと何であろうとどこへでも研究に入っていくことの出来る人なので彼に調査を依頼しました。彼が現場へ出かけまして、どうして外記仲間のいうのかを尋ねたところ、地元のその方たちがおっしゃるには、理由ははっきりしないけれども「外記仲間」と呼んでいるということでした。そこで今度は、彼は五藤家の系図を調べたんですね。そうすると、そこに出てくる人のとても多くに「外記」という名が出てくるのです。五藤家では世襲的感じで「外記」が使われている。若宮や山内にはそれがない。とするとこれは五藤家へ「おまつさん」がお嫁入りされていることと合致するわけです。ここでも、「おまつさん」は山内家へ行ったのではないということが判るんです。
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