32●梶原氏と山内家

次に一豊のお母さん、これは梶原氏の出でございますが、梶原氏というのは、頼朝が鎌倉幕府をつくるときに非常に手柄がありました梶原景時の系統の方ですね。後にその梶原氏は美濃の国主としてこちらへ来られた事がありまして、又戻って行かれるんですが、一部が残られるんです。その梶原氏の御子孫が現在の梶原知事さんです。城山本丸の銅像の除幕式に出席されましたが、関係がある位の話ではありませんね。一豊様のお母さんは、非常にお裁縫が上手で、若宮の「おまつさま」が、不破家へいっていたときなんかに、一時お仕えしたとか、その方にお裁縫を習ったとか、それを見込まれて一豊様のお嫁様になったというような言い伝えもあります。ところがですね、それは先ほどのようなことで、もちろん梶原氏と一豊と「おまつさま」の接点はどこかであったと思われますけれども、この「おまつさま」は先ほど繰り返して言いまし五藤家へいっておられるという事がはっきりしておりますので、これはもう崩すことが出来ないんですね。そうすると、残るは、この見性院様。これだけの色々な史料がございますので、もう見性院様をおいて他にないわけなんですね。



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