28●埴生家(東家の古い家臣の家柄)

この乗性寺の記録は重要でとても有り難いものですが、次に、この埴生家とは何ぞや、ということなんですが、この埴生家というのは、東氏が鎌倉時代、山田荘に着任をしました時、下総の東庄(とうのしょう)から家来として、東氏に従ってきた家柄であります。東家からの歴代の大切な家臣であります。だからこの埴生という方は、盛数のところへ東家13代東常慶のお嬢様がお嫁入りなさるとき、東家から付いてきた家来なんですね。そうして、その友順様が又、関へ再婚なさる時も、ずーっと付いて行ったわけです。だからこの埴生高照という方は一代この友順様に付き添って最期を看取った人なんです。だからこの記録はたいしたもんであります。そして現大和町にも埴生という苗字を名乗っておられる御一族が1軒残っておられます。このようにですね、この友順様には最後まで東家の家来が付いていたんですね。だから、埴生さんは見性院様が山内一豊にお嫁入りになるまでは一緒だったわけです。見性院がお嫁入りされればお母さんも身軽になる。そこで美並村へ来られて戸谷庵へ入られ天正10年(1582年)に死去されているんのです。だからそこにお位牌や記録が残っているんですね。友順様も家来の埴生様も故郷に帰ることが出来てよかったですね。


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