まだあります。若宮左馬助は浅井の家来でございましたから、その浅井長政が「おまつさま」のお父様である左馬助が戦死をした時に、その悔やみと“あなたのお父様の領地のうちあなたにちゃんと渡す分を申し付けます”という、これは安堵状なんです。横に読み方を書いておきましたが「今度御親父御討ち死に中々申すばかりも御入候はずに御心中をしはかり参らせ候」との書き出しです。そしてその次に、お父上は中々のお働きであったからその御親父様の遺領のうち、17条の内の1町の土地と椿堂、それから蓮華寺というお寺の3ヶ所を「おまつさま」にちゃんと受け継いでもらうと記し、その一番終いに「御まつ御料人に下し参らせ候」とある。この「御まつさま」がいわゆる若宮左馬助様の娘さんで親戚へあずけられ、そして後にお嫁入りなさった「おまつさま」なのであります。そうするとこの「おまつさま」が山内家のお殿様にお嫁入りしたということは全く違い、五藤家すなわち家老の家へ行かれた。それがいつの間にやら、お殿様のお嫁様になってしまった、というようなことになっているわけですね。
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