18●牛尾田文書(「おまつさま」は五藤家へお嫁入り)
そこでもう一つ、プリントをめくっていただきますと、ここにこんな訳の判らない字が書かれた古文書があります。これは、この説を又一つ裏付ける書類であります。どういう書類かというと、牛尾田九郎右衛門という人と同喜七郎の二人が、国許の同じく牛尾田という人に出した手紙であります。「おまつさま」が五藤家へお嫁入りなさる時に、4人の従者が付いていきました。御供が付いて行ったのですね。その中の二人が自分の国許の近江のやはり自分の仲間の牛尾田という者に対して、無事に「おまつさま」が御縁組みになりましたよという事を書き送っているんですね。まだ、この前があるんですが、半分しか載せてないんですが、ここに「左馬助様御息女様五藤内蔵助殿御縁組み」と、ちゃんと書いています。御供に付いて行った家来が近江へ、五藤家へ行かれたと手紙を送ってる。これだけでも若宮の女の方は山内一豊へお嫁入りしたのではないということが判ります。この手紙は「牛尾田文書」と名づけられ重要なものです。
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