17●山内家家老・五藤家系図と為重妻の若宮氏墓
その丸山先生が最終的にこういうものを発見して下さった。ここん所を見て下さい。(資料)これもやはり御先祖書きなんですが、ここにですね一番終りの、この二重丸が打ってあるところに、為重と書いてありますね。その為重の下に、元禄元年からいろいろ書かれており、いついつ(木曽川町)黒田で生まれたっていうことが書いてありますね。その下にね「娶若宮女」と書いてありますね。為重ですよ。一豊でないですよ。為重、若宮の女を娶(めと)る、そうして、これだけの子供さんが生まれているのです。この系図帳は五藤というお家の系図なんです。五藤の「ご」は、ここらの「ごとう」は「後」という字を書きますが、算数の「五」を書きます。五藤家の系図の中にこのように若宮女は五藤家へお嫁入りしていらっしゃるという事がはっきり出ている。しかもこの五藤家というのは山内家の家老さんなんです。これは元もとの、尾州の時からの山内家の御家来でして、高知へ行かれてもずっと家老をしておられたし、安芸(高知県安芸市)という所に大きなお城をもらっておられるわけですけれども。この五藤家へ若宮の女の方が行っておられるということがはっきり出て来た。しかもその下を見て下さい。このお墓にですね、ちゃんと書いてあるんですね。何と書いてあるかというと、五藤為重の妻は若宮氏であるということが、しっかり書かれている。この奥様の墓なんですが、近江の若宮家女「おまつさま」は、何と、殿様にいったと思われていたのに、そうではなくて、家老の五藤家へ入っておられた。ということがこの丸山先生やその他の方々の色々な研究によってはっきりと出て来た。この写真は丸山先生が写して送って下さったものなんです。この間、サミット(高知)に行きましたときも写真を写したんですが、こんなにきれいに字が出ませんので、やっぱり丸山先生の写されたのが一番きれいに出てますのでそれをここへ載せたわけです。
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