長浜大地震  天正13年(1585)11月29日夜
        「一豊公紀」より 

十一月二十九日 長濱大地震。長女・與禰姫圧死ス。其他家臣死スル者多シ。


【御家伝并御武功記】

十一月二十九日 於江州長濱宇内、大地震。山川転動裂壊家屋、顛潰長濱之御城殿崩、與禰姫様喪亡、御歳六歳。号光景妙円。
           是見性院様御腹の子也。此時、御家人乾彦作和信を始メ数拾人死す。



一 天正十三年乙酉十一月二十九日夜、大地震。長濱御殿潰る。明神様(一豊)御在京御留守にて早速駆け着くの所、見性院様潰れ屋脇に御立御名御呼掛け「お与祢は如何に」とお尋あり。御安否未だ分からず候えども御恙無き由、マツ仰せられ、以後に御不幸の事、仰せられ候由。
  
                                                  「一豊公紀」


 天正13年(1585)11月29日夜、突然長浜を襲った大地震で、一豊と見性院の一人娘の「よね」姫が乳母とともに梁の下敷きとなり圧死しました。
 当時の模様を上記「一豊公紀」が生々しく描いております。家老となる五藤市左衛門(為重)が、終夜走り回り、半狂乱の見性院を避難させ、棟木の下で息途絶えている乳母と「よね」姫を確認し、家臣・乾彦作ら数十人が亡くなったことを記しています。
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(乾彦作の)妻も一緒に圧死。北方の安東家(安東郷氏=伊賀守守就の弟)へ嫁いだ一豊の姉・通姫の娘。一豊養女。

 ※ この地震で、内ヶ島氏の帰雲城(飛騨・白川)が崩落。一夜で滅亡した。内ヶ島氏の娘を娶った千代の母・友順尼の弟、東家14代東常尭(とうのつねたか)も死にました。    山内一豊夫人顕彰会・(トップページ)朝史の日記へ      山内一豊夫人顕彰会へ