郡上八幡城主・稲葉貞通公の墓
郡上八幡三代目城主
稲葉貞通公の墓
山内一豊夫妻の大通院の二軒お隣りに
(1603年)
(山内一豊の妻)
山内一豊夫人顕彰会へようこそ
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千代の兄・遠藤慶隆が
稲葉貞通の手引き
で京都・妙心寺の半山和尚を郡上へ呼び慈恩禅寺を建立しました。
慶隆の産後死別した安東伊賀守女(のち娘は金森宗和の母)の後妻(三木自綱家から)に迎えた。その方が
智勝院殿惟芳宗徳大姉
で遠藤慶勝の母です。慈恩禅寺の墓地の三つの廟の真ん中に立っています。
慶長八
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智勝院殿
前拾遺一等
玄規大居士
九月三
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2006年12月17日撮影
写真下は墓名接写。↓
慶長5年(1600)9月、
千代の兄・遠藤慶隆と「郡上八幡城の合戦」
で血みどろの戦いをしました。
貞通の作った八幡城合戦絵図
(私の住む大手町近辺)
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朝史の日記・2006年12月
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