「古今和歌集」につながる東家の人々の和歌 (その2)
「千代の里 郡上」の歴代領主が和歌に優れており、初代・東胤行の妻は藤原定家の孫娘(藤原為家の娘)です。
血筋も大いに影響しています。
山内一豊の妻・千代の母・
友順尼
は13代
L東常慶
の娘でした。
土佐に伝わった一連の「古今和歌集」
のルーツがここにあります。
勅撰東家十三代首
(○に数字は歴代郡上東家の城主です)
素暹
そせん
法師
(
B
東胤行) 小男鹿の入野の薄うら枯て 手枕寒き秋の夜の月
平行氏 (
C
東行氏) 契りしはすゑもとをらぬ忘水 頼むや浅き心なるらん
胤行女 (
B
東胤行の娘) 恋しぬといひてもへぬる年月の 命や人にうたかはるらん
平時常 (
D
東時常) 捨はてん後こそ人に世のうさを いハていとひし身とも知れめ
平氏村 (
E
東氏村) 明るをそまつへかりける横雲の ミねより出る時鳥かな
平常顕 (
F
東常顕) 打なひくすゑ葉をかけてはし鷹の とや野のあさ地霜むすふ也
平師氏 (
G
東師氏) 夏山の青葉ましりに咲花や 春にをくるゝ梢成らん
素明法師 (
H
東益之) なをさりになけくへしやハ忘られて 物おもふ比の夕暮の空
平氏数 (
I
東氏数) 帰り見る雲のいつこかそれならん しらす月日を故郷の空
平常縁 (
J
東常縁) 東路や都の空の恋しさに 更て詠る夜なよなの月
平元胤 (
K
東元胤) 軒ちかくなれてそ思ふ鶯の 古巣の谷の春の淋しさ
平頼数 (東頼数) 世をうしとかたらぬ人ハなけれとも身にくらへてそうらやまれぬる
平常和 (東常和) 出る日は花のにほひに霞つゝ 桜そ春のひかり成ける
素純法師 (東頼数の子) 山里ハ心つくしもなくさミも ひとつ木の間の秋の夜の月
素経法師 (東常和の子) セき入し筧は氷る柴の戸に 音信はハす松の雪をれ
右雖十三代首、後亦二代依被得勅定
歌も作者も十五代也
市村静子家文書(白鳥町二日町)「白鳥町史・史料編」より
千葉常胤(千葉県)
郡上の東家歴代城主が勅撰和歌集に入歌
↓
@代東胤頼─A
代東重胤
─B代
東胤行
(郡上へ)
─C代
東行氏
─D代
東時常
─E代
東氏村
─F代
東常顕
─G代
東師氏
─H代
東益之
─I代
東氏数
─J代
東常縁
─K代東元胤─
L代東常慶
─┬─東常尭
(常慶・常尭で東家は滅ぶ)
※
この色の城主は全員入歌。
東常縁
時代から勅撰和歌集は出ていない。
宗祇に「古今伝授」
したのが
J代・東常縁
です。
L東常慶
─┬女(
友順尼
)
│ ┠─
遠藤慶隆
┠──┠─
遠藤慶胤
│
┠─
女(山内対馬守室=一豊の妻・千代)
(
遠藤盛数
)
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他にもたくさんの歌が勅撰和歌集に入っています。順次、ご紹介します。(川上)