<−第七夜
綾香が自宅に着くと、うろんとした瞳で姉の芹香が紅茶をたしなんでいる
いつもよりも酷く、粘土の塑像を思わせる姿でほうとして
テレビに瞳を晒している、見ているとは到底思えない
ただ瞳にそのブラウン管の光を四角く宿すことに懸命であるかのようにすら
見えるほど、見えるほど
その姿は浮き世から離れて、ただただ、芹香のあるがままであり
そして、いつにない姿を作っている
妹は当然戸惑う、それでも、声をかけるに至れない
なんとなくそのまま部屋へと入るにはひっかかって
その場に居座る、ただ、いつもと違って
何も言葉を発することができない、どうにか繋がろうとするが隙がない
もしかすると、つまるところの黒魔術が
この空間を支配しているのかもしれない
それなら、姉の様子も説明がつくもの
ただ、その真偽はわからない
確かめる術がなく、ただ、声をかけることができず
言葉がない、浮かばない、思い出せない
そのままただ二人でいるだけを続ける
澱む空気を吸い込んでも
不思議と二人でいることが窮屈でもない
むしろ自然に、それこそ空気にとけ込んでいるほど
二人がそこにいるのはごくごく当然のよう
姉妹とはそういうものなんだろうか
綾香は、この不思議な空間を怖いとも、悲しいとも、華がないだとも思わない
姉の芹香はゆっくりと呼吸をしている
そのたびに胸元が、すい、と持ち上がりまたゆっくりと降りていく
その動きだけで、彼女が塑像ではなく生きている証になるだろう
安心して見ていられる、見ていて飽きることがない
似ている箇所はあるが、同じではない
どこかが決定的に違っている形質
それでも姉妹は、何かを共有して今、この空間にお互いを存在させている
妹はちらりしらりと何度か伺うように姉を見つめるが
姉は泰然として、まわりの風景が脳まで到達していないようだけども
油断をしたら、突然にぽつりと、いつもの声が聞こえる気がする
でも、本当に小さくて、もしかしたら逃してしまうかもしれない
そう思うものの、やきもきするのに疲れ
妹は、姉の声は聞けぬまま部屋へと赴くことにする
居間を立つすがら、二度振り返るが、やはり
安置された塑像は、微動だにしなかった
ぱたぱた
足音を聞かせても相変わらず
土塊の姉は微動だにしない
よく見れば微笑みを浮かべているようでもある
困り顔のようでもある、楽しそうでもある
やがて本当に声をかける機会を失い
渋々妹は自分の部屋へとつづく階段を登った
部屋は相変わらず整えられている
整然と片づけられ、何もかもがきちんとされた空間は
人の生活の匂いの源の奥の先の素材までも
順序立てて並べかえたようにも見える
メイドのセリオの仕事のきめ細かさの結晶でもある
制服は脱ぎ散らかすではなく
静かに畳んで横へと置く
また明日にはセリオがこれを洗いに出す
寝間着に着替え終わればすっかり心は安寧を求める
身体も緊張を拒む、ゆるりと全てを弛緩する
ところどころに、不思議と
あの機械であるセリオの人間くささが残っているように感じる
服の畳み方に、掃除の仕方に、換気の取り方に
不自然な部分が、いくつも目につく
悪いことじゃない、むしろ自然で愛着がわく
綾香はゆっくりと見渡して、いつもよりも
いや、ここ最近、不思議と一層丁寧さを増した
その清掃後を見てみる
本棚や、机や、箪笥の中に
それぞれ、不思議なほど、様々な香りをつけてある
清掃の後に香を焚いたのだろう
まだ残る、沈香の甘いような切ない香りが鼻に苦みを覚えさせる
色で言うと白い
そんな匂いが部屋中に、でも決して不快にはならない薄さで
まるでスモークでもしたかのように、薫製されている
いぶすのは桜のチップじゃない、香油と香木の魂
気が利いたその、セリオの面影が部屋のかしこに見あたる
落ち着かないわけでもなく、綾香はそれを
一つ一つ確かめるように認めていく
うすうすながらも、当然のように、その向けられた風をしなやかに纏う
恋をする機械という言葉に酔えるほど感受性は幼くない
物に愛が芽生えることが珍しいと思えるほど疎くない
カクテルにされた、様々な色の光線が身体にまとわりつくのが解る
丁寧に畳まれていたパジャマには
シワが二カ所見あたる
左胸の部分と右手の部分
どちらもシワというよりは折り目のようにくっきりと
その部分が尖って肌に当たってくる
気付いて欲しいというメッセージ
そういう気の利いた台詞が思い浮かぶ
綾香は丁寧にそのシワの部分を三本の指で、人差し指、中指、薬指の三本で、
ゆっくりとなぞる、左胸の隆起をそぅと指先は折り目にそって旅を続ける
なだらかにたわる生地を二度撫でると、そのシワは消えて失せる
柔らかい生地はまた、身体を包むようにある
泳がせた視線がクローゼットに留まる
セリオの気配りでか、それともセバスチャンの心遣いか
綾香の部屋の中に、その視線が届く中に
エクストリームを連想させるものは一つもない
清楚でもないが、整えられたお嬢様の部屋風景
普通の女の子がどういう部屋なのか
綾香はよく知らない
葵なんかだと、きっと暑苦しいことになってんじゃないかと思う
じゃぁ、宮内さんは?
静かに一人でそういうことを考えてしまう
ゆっくりとベットに横たわりながら
珍しく物を考える、あまりそういうことを好まない性質なのだが
たまにはいいかもしれない、それに甘い香りでくらくらしてちょうどよい
視線が捕まえられる
クローゼットの中には、連想させる確かな物品が眠る
なるほど、グローブ、ガード、ウェア
それらに囲まれる葵を思い浮かべる、そういうつもりはまるでない
だのに、揺れることの不思議を感じる
葵について考えてみる
綾香のイメージでは、すぐに組み手が連想される
我ながらと苦笑しつつも、そのイメージを大切にトレーニングに励む
やはりグローブやその手のものは、クローゼットの中だ
それでも鮮明に何度も繰り返すことができる
葵にはいくつか癖がある
気負いすぎている証拠がいくつも見付かる
何度か指摘したけど、最近はあえてそれを残している
いや、言わなくても修正してくるようになった
いい選手になれるだろうと思う
今の綾香はクイーンだ、クイーンの顔は端整で美しい、それに気付いているし意識している
対峙した時に右脚を少しだけ下げ半身になる
まずその瞬間が一つ
その下げる動作の間に間合いを確保できてしまう
間合いを詰められると必然的に自らも飛び込んでくる
そこでまた一つ
カウンターと先読みのショートレンジの餌食になる
想定外の事態になると反射で身体が動いている
いいようだけどここにまた一つ
反射で訓練された動きが出るのはいいけど、それは棋譜の読めてる将棋と一緒
だからいつかの昼には耳元で囁けた
多分次には修正してくるだろう
でも、まだいくつもある、ただ、いくつもあるから
綾香以外の誰でもが気付いてしまう
例えば、この前の時の宮内レミィさん
蒼い瞳の奥底と、言葉をなぞる表情と、浮ついたようで隙のない挙動と
どれもこれも侮れない、そして
弱いところを見つければ、そこを確実に狙う常勝者
本当に強いのは、ああいう人なんだろうね
多分好恵よりも強いだろう
あの手の型は、あまり会ったことがないから
次はどうしようかとか、そういうことを考えてしまう
根っからの喧嘩好きみたいなそういう具合にも見える
野蛮で粗野で途方もないほど乱暴なことだけども
それが好きで仕方がないのかもしれない
お嬢様の女王はゆっくりと身体を一つ返した
寝返りを打った、枕の真新しい柔らかさを求めた
葵の弱点を知っていることが、なんだか
葵を誰よりも知っているような気分にさせている
そういうつもりはまるでないのに
そうでもないのか、そうなのか、そもそも問題が違うのか
甘い香りばかりに気を取られ
ふと、自分の髪に煙の匂いがついているのがわかる
そうなんだ
この匂いの主に今は執心
そういうことにしておこうと
頭の中で呟くすがら、ぐらりと甘い匂いに中てられて気を失うすぐそこまで来た
胸像のような姉の背中を思い出す
ああ、どうして私はあのとき
もっと嗅覚に神経を使わなかったんだろう
もしかしたらそうなのかもしれない
だからああなのかもしれない
たしかめてみるにはもうなにもかもがおそい、ねむい、だるい
綾香は眠りに落ちる
静かに寝息が部屋を少しだけ震わせる
それでもいい
どうなるわけでもない
なるようになるよ
それが綾香の生き方
鳩はうずくまって眠る
目を開いて眠る
起きているか寝ているか
それは誰もわからないまま、眠る
なんとか目算が立ちました
そういう具合で、もはや
誰に問いかけるわけでもなく
これ読んで面白いか?と
そういう質問することすら恐怖である昨今ですが
今月中に終わらせようと思います
駄文、誠に失礼しました
R(05/06/13)