スピリット オブ ヤーパン
初は、死んでない
ただ、死んだも同然だ
針は深くまで神経を傷つけたらしく
相当の後遺症をのこさしめた、営業の一線からは
もう、引かないといけない
今回の大業は、彼女の最後の仕事になったと言って過言でない
この結果を見て、会社は当然のようにして
戦功を花に贈った
その時のやるかたなさは、本当にどうしようもない
花は、無力を知り
生きている意味を希薄だと感じてしまった
顛末はそんな所だ、この話には続きがあるのだが
ここで物語は少し時間をさかのぼる
この日の朝の、花と初とは別の出来事を追う
「・・・・・・・・・・・久しぶりに来たが、やっぱり汚いねぇ、空気も人間も」
一人の女は、都に立って
開口一番そう漏らした、皮肉を浮かべた口元で
駅の風景と行き交う人々を静かになじった
仁は、宝蔵院の産女「然」だ
りりりん、
鈴を鳴らしながら、然は歩いていく
産女とはた目で解る、そういう衣装の為
道行く人は、ありがたがり、また、老いたものは拝みもする
僧侶や尼といった信仰の対象(?)と、随分近い地位にある
然の腹は、すっかりなだらかになっている
一週間ほど前に、春が宝蔵院を見舞った少し後、無事出産を終えたのだ
「・・・・・・・どちらまで?」
「ああ・・・・・・・・新町通りを三条まで上がっておくれ、膳所という家に行って欲しい」
タクシーに乗って、告げた
その、先日産んだ子を見に京都まで来たらしい
膳所の血を引く、新たな娘を
「いらっしゃいませ、然様」
「やぁ、その後どうです?」
「はい、すくすくと健康でございます」
「名前は決まりましたか?」
「本家では、『音』と名付ける様子ですよ」
「音・・・・・・・・・・・・うん、可愛らしい、いい名前・・・・じゃ、そろそろ音に会いたいんだけど」
然は、ことさらくだけた様子
そして、膳所の家とも随分親しげに話をしている
今、然の相手をしていたのは、膳所家の手伝いだ
家の人間ではないから、近所のおばさんという感じで
違和感は無い、その手伝いはそそくさと奥へと入り、家の人を呼びにやったようだ
然は、玄関先に静かに腰を下ろす
「いや、これは産女様・・・・・ようこそ、お越しになられました」
「いや、しばらく・・・・・・また、乳をあげようかと思いまして」
「ありがたいことです、どうぞこちらへ」
奥から出てきたのは、品の良さそうな四十に届くくらいの女だ
物腰は柔らかく、高貴な風雅を纏っている、しかしその身体には
衣服で隠した、幾重もの深い痕が刻まれている
この仁は、膳所家の先代当主にあたる
すっかり柔和な顔つきをしているが、彼女が当主だった時は
それこそ目で人を射殺すような、膳所の女の鑑だったらしい
「・・・・・・・・ご当主は?」
「ああ、先頃、なんぞ対談があるらしく離れに移られました、静かですよ今は」
ほんのりと微笑みを浮かべる
なんと平和で暖かみのある表情だろう、然は嘆息を思わず漏らした
かつて戦慄を常に帯びていたからこそ辿り着いた、優しさの表情を見せて歩く
みしみしと、床をひしめかせて奥へ奥へと行く
やがて、一室が近づくと、元気な赤ん坊の声が聞こえてきた
「名前が、決まったそうですね」
「ええ、音、と名付けます・・・・・・」
「良い名です、健やかにまた、強く育つでしょう」
「・・・・・・・ありがとうございます」
先代はゆっくりとお辞儀をしてふすまを開けた
泣いている赤子は、若い娘に抱かれている
娘は、なんとかあやそうとあれこれしているようだが
首が座らない為か、泣きやまない
「・・・・・・こまったな・・・ほらほらぁ・・・」
「不器用だね、ほら、そう抱えたら首が痛むんだよ」
手に余している娘から、然は赤子を取り上げた
あ、と口を開けて目を丸くする娘
然だと知り、慌てて非礼を詫びる
その挙動の内に、赤子はすっかり泣きやんだ
「いいこだね・・・・・・・・・と、珍しいね、次期当主様」
「いや・・・・・・当主に呼ばれていまして、仕方なく・・・・です」
然が赤子に乳を与える、ぽろりと顕れた乳房を見て
赤ん坊はそれに執着した、生きる力が漲る、見ていて愛らしい行為だ
それは誰に対しても、平和を呼び起こす
本家を嫌うこの、次期当主 周も例外じゃない、場所柄、
考えられないほどの柔らかい顔をしてそれを眺めている
「周、当主がお呼びだ」
「はい、行きます」
絣が周を呼んだ、平日だが当主の呼び出しに応じて
会社にはいとまを届けてここに居るらしい
相変わらず、世話役というか、下使いをさせられている
周は、一顧だにせず呼びかけだけに応じて、部屋を出ていった
「お顔が優れませんね、先代様」
「・・・・ああ、少しだけ・・・・・・・膳所の家を継ぐ者の哀れと言いますか・・・・やがて、この子もと・・・」
慈しむように、乳を吸う小さな生き物に先代は
そっと手を置き、優しく撫でていた
なんぞ、ややこしい事があるようだね
然は、とぼけた風でもないが、特に気に病まずただ
自分が産んだ他人の子に愛を注いで、忙しく過ごす
「然様」
「はい?」
絣が部屋へと戻ってきた
然は乳を吸わせたまま、よいよいと身体を揺らし
赤ん坊を愛でている、返事とともに意識をそちらに向けた
いつもの通りの人形のような顔をした女が居る、絣
「当主が、後で挨拶をしたいともうしておりましたので」
「はは、妙な気遣い・・・・いや、ありがとうございます、待たせて頂きますよ」
たおやかな笑顔、産女として本当に立派だ
後光が射すようなありがたみを子供を抱いた事で増している
赤ん坊をおどかさないように、然は静かに腰を沈めた
絣は、歳の離れた妹の顔をのぞき込む
「・・・・・・・・・周さんに、何か、大変な事でもあるのですか?」
鋭いな、流石
絣はごくりと唾を呑んだ、子供をあやしている
母性を顕わしている女は、世間話のようにして
膳所の人間の澱みに踏み込んできた、絣は、かなわない、といった体で
笑い返す
「・・・・・ええ、膳所の当主であるため、色々あるようです」
「そう、この子もいずれ?」
然の問いに絣は答えなかった
少しして、授乳も終わり一通りの世話が済んだ
然は赤子を先代に返し、その間を出た
入れ替わるようにして、周がやってくる
軽い会釈ですれ違う、特に何か言うわけでもない
・・・・・・一大事かな
然はそう覚えた
周の会釈は不必要な笑顔を持っていた
そういうわざとらしさから、当主との話に何か重いものがあったのだろう
そんな所を考えた、思案は深く、歩みは早く、静かに声をかける
「宝蔵院の然です」
「お入りください、産女様」
ふすまの奥から声がした、入る
昼間なのに、少し暗い
それは間取りのせいなのか、人の性質なのか
武専ではない、どこか
女子高生が一人、刀を抜いて立っている
『殺したい奴がいるのだろう?』
なぜ、今これを思い出すのか・・・・
春の心に、宝蔵院での産女の台詞が蘇った
見透かされた恐怖を身体が覚え、ふつふつと肌が粟立った
嫌な感じだ・・・・、臆したわけでもないだろうに
今、一人の特務に身を置いて、自らを叱咤した
いや、身を「置いて」では少し遅い、もう済んでいる、身を置いていたのだ
ぼんやりと心捕らわれた女子高生の廻り
血が散乱し、5人分の骸が仲良く倒れている
今しがた、春が斬った不逞分子だ、特務の名で綱紀粛正の下に
ロコツに言えば、春を人斬りに慣らす為に死んだ女
感情が渇いている、人を斬るのに、さした不快を覚えないほど鈍くなった
人斬りを素のままでこなせるようになったのは
武専としては立派な生徒と言えるだろう、細かい事で
もう心を乱すような、浮つきも無くなった
凛々しさに寂しさがまぶされて、立派な女を象っている
「・・・・・・・・・・・・報告に、行くか」
呟いて刀を仕舞う
ざり、ざり、ざ、り
?
踏みしめる音、砂利が鳴いた
刀身は半分を鞘に隠してなお光り続けている
春の耳に足音が一人、油断のならない音、警戒を呼び起こす
そういった不安を感じた
振り返り、声をかける
「あまね?」
なんで、そう思ったんだろう・・・
予定調和めいた確信、不思議な思いだったが
振り向いた先には、実際、周が立っていた、足音の主だ
「・・・・・・・・・・5人?」
「うん」
なぜか解らない、春には解らない
だけど二人の女がそれぞれ己を主張している
我が立っている、そんな空気が漂った
台詞のはしばしに、自立が見てとれる、なれ合うわけや
友達というようなぬるさが無い
周はやや遠くでそれを眺めて喋っている
いつものように伸ばされた背中は、本当に美しい
腰のあたりまでの線と、そこから下の線が
二つとない造形をしている
その腰には、周の背をもってもまだ、長いと思わせる太刀がある
刀じゃない、太刀だ
反りが強く、刃は下を向いて、腰に下げて佩(は)く
刀を帯びる事を示す、差す、とは違う姿
太刀を下げた女子高生は、煌びやかとさえ思わせるほどの偉丈夫だ
「・・・・・・・長い、太刀」
「ああ、膳所の陣太刀・・・・・・前に言った、大業物だよ」
周は喋りながら、左手を柄に、右手を鞘の半ばにバランスを取るような格好で
直立を崩さない、春は仕舞い掛けだった刀をゆっくり鞘に寝かせた
時が来たのか・・・・・・なんでだろう
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
お互い声が無い、春は頭の中に
たくさんの台詞を造り出した、聞きたいこと、言いたいこと
どちらもあったし、数え切れない
だけど、それを言う前に、頭の中で全ての答えが解ってしまう
だから、聞けない
「ききたく・・・・ない」
「?」
小声の呟き、周は少し眉をひそめた
周は既にその気分で来ているせいだろう
目の前の、狼狽えるわけではないが、何か小さくなる娘を
悲しく見てしまう、哀れで、儚く想ってしまう
相変わらず、直立を崩さずに
血の真ん中に立つ女を、冷たい目で見る
やがて
「・・・・・・・・・・・・風紀委員の」
「言わないでっ!!!!!」
「・・・・・膳所 周だ・・・・・・斉藤 春、特務です」
「あまね・・・・お願いだから・・・・・まだ、まだだよぉ・・・早いよぅ・・」
「武専特級として、特務を遂行するが、手口の残忍さ、また、殺した数が多すぎること」
「・・・・・・・・・・・・・」
「全てに、心が欠落している、これ以上は許されない」
「周・・・・・」
「死して」
「・・・・・・・・・」
「償いなさい」
言霊がお互いを約束の前に連れ出した
言った以上、もう、事はハジマリ
終結を急がなくてはならない、口にするという事は
中途半端な姿勢を決して赦さない、言っただけなんて
そんな戯れ事は、それこそ万死に値する
特務を語った周
多分理由なんて、こじつけだろう、いや実際に
春の特務は、殺しすぎている
初めての特務の時に、その片鱗は見えていた
あの時、春は周よりも多くの女を斬っていた、斬ったのか殺したのか
それを悩みながら、春はうすうす
斬るのと殺すのとの違いが、おそらくは無いと悟り始めていた
頃合いだろう
武専と、膳所の家の意見が一致した
それが命令として、周にくだる
斉藤春は危険だ、処罰する必要がある
周はゆっくりと太刀を抜く
するすると、鞘の口から伸びていくように
青白いウロコを纏った、鋼が現れる
鏡のように美しく、うっすらと濡れているかのような
薄い膜が見られる、光りは静かにこぼれ
ぼう、と自ずから輝いているような錯覚を覚える
りん、
いつもの音がした、太刀を一度だけ振った音
刃が空気を裂いた、その音だ、鍔や鞘が鳴るわけじゃない
そんな安い作りはしていない
「・・・・・・・・春・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
言葉の無い春、周がゆっくりと抜く間
既に二本を手にしていた
気持ちは、落ち着いているが、前には出ていない
なんとも言えない、しっくりくるのは
仕方が無い
そんな、罵倒されそうな甘えた言葉だけだ
「・・・・・・・・・・・周、教えて」
「・・・・・・・・」
「あなたが私の近くに居たのは、やっぱり、特務だったの?」
「・・・・・・・・」
「最初から、こうするためにさせられていたの?」
「・・・・・・・・」
「嘘だったんだね」
そうだよ
言ったんだろうか
わからないけど、春を肯定する、絶望が耳に届いた気がする
ああ、嘆きは苦しみを産む
涙が流れる、自分の中の大事な所を、叩き壊された
絶望感が全身を舐めつくし、悲しいという気持ちだけがぽっかりと浮かぶ
やがて、それが、怒りにすり替わる
ざっ!
二人は同時に踏み出した
周の表情は、いつもの特務のそれ
春の表情は、久しく忘れていた、ずぶどろのそれ
お互い瞳は、漆黒で、雑念は無い
集中しているから、というよりは、忘れている
あるいは
考えたくない、だから、知らない
そんな所だろう
だだだ、駆ける音、奔ると風景は熔けていく
ただ顔はそのままなのに
涙が絶えない、春の頬はさらさらと濡れて光り
感情の伴わない涙という、最も悲しい作り物
ぱぁっと、散ってきらきらと輝く
日は傾いているらしく、随分と暗くなっていた
あいにくの曇天、まもなく空は泣き出すだろう
ぶ厚い、黒々とした雲は覆い尽くすようにして
明るさをどこかへ追いやっている
暗い影が二つ、いよいよ、一つに
せやぁっ!!
周の太刀は横様から飛んだ
渾身の一撃、春はそれを両手の刀で受ける
がきぃっ、と甲高い悲鳴
すぐに二の手に移る、春の大刀が空から落ちる
周の鎬がそれに絡む、打ち上げてまた、周の攻撃
春の受け手はぎりぎりでそれをいなす
ぱぁっ
血が飛んだ、春の左腕から赤い液体が散る
周の太刀が翻る、踊る女、キツネの尾のような
光りの断片が、ちらちらと幾束もの糸を紡ぐ
火花が飛び散り、青い刃は、より美しい
どん、
鍔迫り合いからお互いを押し戻す、1歩ずつ下がる
そして同時に切り下ろす、ざぅ、鈍い音
春の刃が確かに周の肩を捉えた、ただ浅い
こぼれる、いや、溢れる血が、吹き上がるように
どぷり、音をなして空を赤に染める
しゃくっ
砂利を蹴り、周は詰める
痛みに顔を歪ませて、なお前に、膳所の一撃
太刀をいつもの小指芸で握る
下段から、大地を斬りそのまま空を叩く
さうんっ、鋭い音、同時に三つ目の赤い華が咲く
恐ろしく早い刃だった
当たってから圧力が伸びる、だから通常の受けでは
流せない、1度目で崩れ、2度目で追いつめられ
3度目がトドメを
びぃんっ
不意に不可解な音が周を襲った
振りかざした刃が大きくぐらつく、目釘が!?
そんな所まで周の気は、廻っただろうか
三度目に入る前、陣太刀は周を嫌った、刃が悲しげに泣いた
そしてすぐだった
春の二刀が彼女を屠ったのは
必死だった
そんな言い訳だろう、手応えは充分だが、覚えてない
二刀は確実に急所を抜いた、もうそこにあるのは
学友ではない
人の亡骸だ
しと、
雨が落ちてきた
しと、しと、しと
すれ違ったようにして、春は死体に背を向けている
倒れていった屍はうつぶせに、どさりと自身を投げ捨てた
春の感覚は狂っている
未だ死闘は続いて、明確な決着が感じられないでいる
気持ちは、ずっと、ブーストされたままで
戻らなくなったアクセルのように、ただ
きりきりと感覚を研ぎ続け、加速している
意識は加速する、目の前の出来事は
ただゆっくりと、だけど、追いつめるように、迫り、煽り
止むことがない、気持ちの制御がまるできかない、いつまでも
斬り合いの恐怖から解放されないで、ただ、何かに怯えて備えて・・・
死んだ、殺した友人、散る血の花びら
心が壊れる、意識が狂う、精神が病める
ざぁああああああ・・・・・・・・・・・・
雨が煙り、何も見えなくなる、何も見えなくなる、何も見えなくなる
目がくらむ
「・・・・・・・・・・・・・立てるか?」
え?
「怪我は大したもんじゃないだろう、学校へ行きな、報告をするんだ」
だれ
「お前は特務を無事こなした、その後の事は言わなくていい、お前が行くだけで全て解決する」
「・・・・・・あなたは?」
「忘れたかい?宝蔵院の産女だよ、さ、今お前がここで這い蹲ってるのは具合が悪い」
然さん・・・・ああ、初さんの
「早く行くんだ、報告に、それが決着だ、早く」
「然さん・・・・・・」
「?」
「・・・・・・・・・・・殺しました」
「うん」
「友達を・・・・・・・・・・大切な、好きだった人を」
「うん」
「殺しました、殺したんです、酷いんです、最低なんです」
「・・・・・最低、酷い、ああ、そうかもしれない、そう、お前は親愛なる人を殺した、だけどそれで解るだろう?」
「・・・・解る?」
「さぁ、行きなさい、後悔なんてバカな事してる暇ない、覚えているのだろう」
なにを
思ったが、ふらふらと春は、雨の中を歩きはじめた
然は見送るだけ
ただ一人で春は歩いた、濡れるままで
目は死んでいて、それでいて生きる気持ちは溢れて
忽然、思い出す
『殺したい奴が居るんだろう?』
然の言葉
産女の、心眼に見抜かれた、
自分の真実、
今の結果
これからの指針
ずっと心に捉えてきた、信念