スピリット オブ ヤーパン
「はっ・・・・・・あ、遅刻!?」
がば、朝一番に驚く、一気に全身が醒めた
春は動転して、辺りを見回す、知らない景色、知らない布団
しどけない自分の姿
「ぇ・・・わ・・・・ぁ・・・・!!!」
ぼん、音がするように真っ赤になる、なんでこんな格好で
毛布を慌てて、誰に見られているわけでもないのに自分に纏わせる
ゆるやかな身体の線を繊維が優しく包み込む
どきりどきりと、心臓の撥ねる音が、瞳の外側を一定の感覚で圧迫する
視界が、そのたびに小さく揺れる
「寝起き、いいんだね」
「!!」
声も出ない
くすくすと、その様子を見て可笑しげな表情をする
周だ、そう、解っての通り周の部屋だ、一人暮らしの女の部屋だ
特務の後、覚えているが思い出せない事があったんだ
考えるほどに、血がのぼって湯あたりのように、煌々と頬が火照る
「・・・・・・・・・春、朝御飯できてるよ、あとね、今日は学校休めるよ、連絡しといた」
とぽここここ・・・・・、長閑な音がする、匂いから察するにコーヒーらしい
質素な食事で、トーストが二枚とバター、そしてモーニングコーヒー
まだまだ落ち着かないでいる為、春は周を直視することができない
当然彼女の台詞は脳まで届いてない
ぼわんぼわんと、彼女の声は音として、恥ずかしい気持ちを増幅させるだけだ
「落ち着いて、春・・・・・・・なんていうか・・・可愛くって仕方ないな」
いぢわるく微笑いながら、周はそうやって
狼狽えるというか、恥ずかしさにのたうち回る春を見て楽しんでいる
しばらくは、口すらきけないかと、諦めた感じでパンをはむはむと食べ出した
なんともいえない沈黙、だけど、随分と清々しい朝
ゆっくりと、コーヒーを呑みながら、安らいで過ごしている
「・・・・・・・・・・えーー・・・・・と」
「?」
笑いを堪える周、それからご飯を食べ終わり、数え直せば春が起きてから1時間くらい
やっと言葉を発した、周は、またちょっかいを出して遊ぼうかとも思うんだが
流石に気の毒というか、やりすぎかと思い、懸命に堪えている
春はそんな気持ちを知ってか、知らずか、しどろもどろと、まだ視線を合わせず
ゆっくり、適当な言葉を紡いだ
「いいてんきだよね」
「そうだね」
「あさごはん、ありがとう」
「どういたしまして」
「・・・・・・・・・・・・・」
「おかわり?」
「ち、ちが・・・・」
あまりにはぐらかし過ぎて、心底哀れになってきたので
周はようやく落ち着かせるように動いた、どうした、というわけでもないが
緊張を解く方法というのは、色々あるのだ
落ち着いたらしく、やっと視界が広がった心持ちになる
春は改めて、その見知らぬ部屋を眺めた
飾り気が意外と少ない、パイプベッドだし、室内インテリアは
なんだか洋風だ、もっと和然とした雰囲気だと思っていたが
ずっとアーバンな感じだ、窓辺にはとげとげのサボテンの鉢が置かれている
「珍しい?」
「あ、うん・・・・・・もっと、こう、堅い部屋かって思ってた」
「よく言われる」
相変わらず微笑んだままで、コーヒーのおかわりを給仕している
よく言われるって事は、何人もここに入ってるってことか
そんな事まで気がまわる春、その辺りの知識は年相応にそこそこあるものらしい
興味深げに、ぐるぐると部屋の匂いを楽しんだ
「さて、どうする?帰る?」
「!そうだ・・・・・連絡しないと・・・・・・・」
落ち着いた感じの春にようやく周が、意味のある事を告げた
慌てて立ち上がる、全く無断で、いや
朝方に「特務へ行く」と不吉なことだけ告げて出てきているのに
無断で外泊したとあっては、要らぬ誤解を産んでいる可能性が高い
春はどたばたと、ふためく
「ど、どうしよう」
「電話は、そこに」
「ああ、ありがと・・・・」
また我を失っている春を、静かに見ている周、冷静に正しい事へと導いている
春は落ち着かないままで、がちゃがちゃと受話器を取る
同時くらいだろうか、りりんりりん、二度チャイムが鳴った
不審でもない、もしかしたらそれが平常、一瞬で
早朝のどたばたは、性質を変貌させる
「あ、はい」
春はまだのぼせたままのように、不意に返事をした
家での癖らしい、返事をしてから、ようやく他人の家だと思い出す
ノブが廻る、コーヒーを煎れてる為やや奥だった周は、出遅れた形だ
全く無防備な春、舌打ちをして周は左手を伸ばす、そして
「春、どいてっ!!!!」
「!?・・・・誰っ」
周の声、いや気勢で春の心も目を醒ました
ぎんっ、音が奔るような視線と、気配が解放される
扉が開く、内側の女二人はほぼ整う
「・・・・・・・・・・・・・・斉藤春?なんで」
「同級生さ、居てどこが可笑しい?」
びりびりと刺さるほどの敵意を放つ台詞が襲う
扉の外には、スーツを着た女が居る、膳所 絣だ
周はなるだけ春を後ろへと誘う、絣はしばらく静観していたが
おおよそを悟ったらしく、考えが巡る
牽制するように、周が呻く
「何の用?お姉ちゃん」
「・・・・・・・・・いや、済んだ、そして、今新しい用が、で、き、」
た
ぐぅんっ、距離はゼロになる
姉妹は絡み合う、要約したら姉妹喧嘩となるんだろうか
いやもっと複雑で、感情の入り交じり方はずっとどろどろしている
不快しか浮かばない、そういう雰囲気だけが朝を飾った
刀は抜いていない、が、そこに存在するものは全てが凶器に見えた
喧噪、どたばたと布きれは拘束具の役割を担い
壁は鈍器に変わる、鈍い殺意がはためいたが、姉は先に土俵を降りた
ちぃ、舌打ちの音が終わりを告げる
周を越えてまで、春に危害を加えるのは、本末転倒している
絣は理性を構えると
と、た、
「・・・・・・・・・・・・・・・・・あまね、忘れてるの?そいつは」
絣は極力心配顔で言う、が、周はそんな顔をした姉を
本家の一人としか確認していない、全てに疑念を孕み
全てに猜疑を呼び起こす、噛みつきそうなほどの狂気をただ漏らし
答えもしない
「・・・・・・・・・・・・下がるよ、わかった、悪かった」
絣はするりと玄関を後にした、左腕をぶらぶらとさせて
もう一度だけ部屋の中を睨み付けた、春の顔を睨み付けて視界から消えた
しゅんしゅんしゅん、お湯の沸く音がする
三菱本社
絣は周の部屋を出て、そのまま会社へと出た
タイムカードを通し、ぴぴぴ、と電子音を耳にして
自分の机に向かう、制服があるわけじゃないから
自前のスーツのまま、机の上には新しい仕事が無造作に転がっている
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
黙々とそれを、さっさと分けて自分のその日のスケジュールを組む
ここまでは、いつもの絣の日常だ、或る程度の目算が立つ頃
朝礼がハジマリ、会社、という機械が動き出した
絣の足は、営業のフロアに向かった
「・・・・・・・・・・・、・・・・・・・はぁ」
ため息
場所は営業部の、長坂花の席、声の主は絣
いきなりそんな嘆息を聞いて、驚いた様子で初が振り返る
不審な顔をして、じっと、睨(ね)め付ける
それに花も気付き振り返ると
「・・・?・・・ああ、膳所さんですか、何か?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・斉藤春は無事だ、もう少ししゃきっとしたらどうだ、いい大人がだらしない」
低調ななじる声でも、その内容で花は目を醒ました
それを聞くまでは、起きてるか寝てるかわからないような姿で
しかも目の下には営業にあるまじき、大きなクマを作り、どうやっても寝不足という顔つき
しかし、絣の言葉はそんな最悪の26歳に息を吹き込んだ
「なんで?どうして?・・・っていうか」
「うるさい、仕事中だ・・・・・・・・、まぁ着いてこい、ちょうど話があるし」
だるそうな声で絣はそう言う、最後の最後まで不審の目をぶつけている初を
気にするような事もなく、また、瀬田にも特に何も言わずに
ずかずかと、営業を一人連れ去ろうとする
営業の視線はどうも、敵意を孕んでいる、だから気が最後まで回らなかったのかもしれない
「おい」
「・・・・・・なにか?」
当然、そんな無作法が規律を重んじる会社の中で無視されるわけがない
野太い声、男の、荒々しい音が背中を止めた
絣は、目を細めて振り返る、セクションの中が異様な雰囲気に包まれる
「無断で俺の部下ぁ連れていくたぁ、どういうこった」
「・・・・・これは失礼しました、しかし、断る道理も本来ならば無いはずですが」
「仁義を通せとか言うわけじゃぁねぇが、そいつはちょっと、行儀が悪いって思うんだがなぁ」
押し殺した圧力、瀬田はどうやら機嫌が悪いらしい
毒気にあてられるように、一番近くの席の初は、青い顔をして黙っている
希に見る禍々しい空気だが、絣はかけた風も無く
ふいに、いつものやんわり顔に戻った
「申し訳ございません、配慮が足りませんでした、長坂花をお借りします、例のことで・・・」
そして、冷たい水が岩間から滲むように
すっきりとした声が、たぎる熱を冷ました
全ての攻撃を無力化するような表情で、絣は花を連れてセクションを後にした
営業部は、何事もなかった姿をたえる
「で、膳所さん」
「・・・・・・・・・・・時間、あるんだよな」
「え、あ、はい・・・・・ここの所は伝票ばっかですし」
「そう、総務の稽古場に行こう、拒否権は無い」
そう言われたらついていくしかない
花は、しきりと春の所在を気に掛けて、ただ疑いもなくついていく
立場上、みだりに会話をしながら行くわけにはいかない
その為か、もともとか、むっつりとした顔で絣はエレベーターで
静かに上を目指した
三菱の一般社員は基本的に立ち入りを禁じられるフロア
内部中枢を担う部署がいくつかある階に、総務の為の稽古場がある
あまり広く無い、そして器具はほとんど無い、簡素そのものだ
「・・・・もっと、凄い所かと思ったのにな」
「突き詰めたら、何も要らないからな・・・・・・・・・さて、だ、斉藤春の件だけどな」
きゅ、目を絣に向ける
妙な緊迫感をまといながら、瞳を絞る
「昨日、武専の特務を完遂、その後、同行したうちの妹と一緒に夜を過ごした」
「・・・・・・・・へぇ」
「落胆?・・・・・・・・・」
「いや、意外だと」
「まぁ、女子高生だからな・・・・・それくらいだったろ?」
「そうなんですけどね・・・・・・・で、膳所さん、もう一つの用ってのは?」
「ん」
言うと絣は、稽古刀を取り出した
そうなるのかなぁ、心持ちに構えができていたので
狼狽えることもなく、落ち着いてそれを取る
前回のように、ぎんぎんと漲らせているわけじゃないが
平常だからこそ、鋭く、いつもの通りに構えられる
とん、とん、とん、とん、とん
10本行った、10本、絣が取った
静かに一撃だけのやりとりが、10回続いた
その度に、腹だ、腰だ、腕だ、頭だ、肩だ、と
弱い所に刀を圧し当てられ、声で殺される
畳の上を、二人が踏み込んで出す、あの、独特の音だけが
ぱたぱたと、こんこんと奔る
「・・・・・・・・・・・・・・・」
さらに続いた
花も黙々と、稽古を続けた、続ける程自分の身の程をずけずけと辱められる心持ち
久しく覚えなかった、稽古がイヤになる感覚をがんがんとたたき込まれている
そういや、ガキの頃は、もういやだ、もうやめてなんて叫んだもんだったかな
まだ余裕がある、が、したたかに、だんだんと
圧し当てるだけだった刀が、どん、どん、と重く攻撃を帯びてきた
50本
「また、腹だ」
絣の声は、始まった時から変わらない
花は声すら出ない、どぉどぉと疲れがたまってきた
苦しい、だけど、また構え直す
しかしもう、抜くという力をひねり出すことすら容易じゃない
だけど、抜かないと力を強めてきた刀は、容赦が無くなる
80本
腕が上がらない、花は酸欠のためか瞳が霞んできた
じっと、絣を見る、瞳がくぐもっている印象だ
そこに自分の醜い姿が写っている、また打たれた
81本目、とうとう、外聞もなく前のめりにつっぷした
「まだ」
「・・・・・・・・・・・・なぜ」
「まだ」
「・・・・・・はい」
105本
「休憩しよう」
言って、絣は構えを解いた
花は疑問なんかも持ってたはずだが、それを覚えておくような余力が無い
今は生きておくことに、全霊を注いでいる、荒々しく息のなす声だけが聞こえる
「流石、頑張るな・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・う」
「いい、喋るのは辛いだろうし、こんだけやったのも久しぶりだろう?たまにするといい」
「・・・・・・・・・・な、に?」
畳に礼もなく、だらしなく倒れている花
そこにお茶を持って絣がやってきて座る
どんな発動機を積んでいるのか、タフネスなんて言葉は
こういうのだろうと、お茶を呑む絣の姿は、未だ乱れていない
「この前の長井の件、あれのささやかな礼だよ、総務直々の稽古さ・・・・・・・・お前の任務は、会社に認められてる」
アレは、初がっ!
強くどこにあるかわからない力が、それだけを伝えようと口を開いた
が、声までは届かない、目を見開いて、訴える顔をして
「言いたい事は解る、調べもついてる・・・・・が、会社としては、原田は認められない」
ぎぃ
「わかるだろう・・・・・・、この狭い世界で、愛知であるというのは、そういうことだ」
ぎぃぃ
歯噛む、憎悪を、ありったけの今、自分に残った力を
黒く黒くして瞳を燃やす、それで殺意を投げかける
だが、瀬田の気勢をもってしても笑顔を作るこの女に、そんな安いモノは
一つの波紋も広げない
「お前は黙って、会社の決定を聞いておけばいいさ、かつてもそうだったろう」
「・・・・」
「近江太郎の背任事件、私は総務だ・・・・・・・・その、本来まで知ってるさ、お前の咎だったことも」
ぎぃ
「で、本題だ、今日、一番伝えないといけなかったこと・・・・・・・」
お茶が済んだのか、また立ち上がる絣、見下して言う
「現在、お前と原田で進めている仕事・・・・・・成功したら、昇進できる」
「・・・・・」
「・・・・・・・そして、それこそが、原田にハクをつける、最愛の行動だ、いつまでもガキみたいに
目の前だけにコダワルな」
湯飲みを返しにそこを外した
依然、花は口もきけない疲弊を味わっている
乳酸の虜となって、存在することが苦痛だ
また、戻ってきた絣はタオルで花を労った
驚く花を静かに寝かしたまま、ゆっくりと拭いてやり、話をした
「・・・・・私語だよ、気にするしないは勝手だよ」
「うちの妹はね、家系の次期当主なんだ、やがてとても偉くなる」
「そうなるために、最近、斉藤春が邪魔だと、うちの家が言ってる」
「朧気にわかるだろうけど、常軌を逸してる、家系がそうだから仕方ない」
「多分、近い内に」
「私は、春を、殺さないといけない」
周の部屋、結局昼も一緒に過ごして
平々凡々な、それを楽しんだ二人
周が、春の目を見てそう告げた
今朝の出来事の説明の、終わりの部分、哀しさが有り余る
「・・・・・・・あまね」
「さぁ、夕方になる帰る時間だよ」
最後の言葉の説明や弁明は無い
告げた事で、周の中では完結している
春は戸惑うし、たくさんの反論がある、けども
どれをどう言ったらいいのかわからない
自分を殺そうとする人と、どうやって話をしたらいいかわからない
わかるわけがないじゃないか
春は、悔しさが怒りにすり替わる様を初めて感じた
どうしようもない気持ちというのを
ただ抱き締めて、一日ぶりの部屋へと帰っていった