スピリット オブ ヤーパン
三菱本社
珍しく会社から一歩も出ることなく事務処理をかたしていた花と初、
昼休みになり社内食堂の窓際で歓談している
もう食べ終わったらしく、片づいた皿をはじに寄せて
食後のコーヒーを真ん中に座らせてる
「んー、まだかかりそうだよなぁ、面倒くせぇ」
「伝票溜めすぎたなぁ・・・・・次回からは、きちんとしましょう」
「へいへい・・・・・しかし参ったなぁ、どうする、午後の件」
「あー・・・・・・そうだね、初、一人で行く?あたし残って伝票片づけとくけど」
「いいのかよ、なんか悪いなぁ・・・・・・・裏でもある?」
「いや、最近旨いラーメン屋見つけたくらいかな、北白川に新店発見」
「ok、今晩、北白川でラーメン奢るよ」
二人笑い合うと、席を立った
ゴミ箱にコーヒーの入っていた紙コップを投げ入れすたすたと食堂を出る
部署に戻る通路の途中、トイレに行くと初が別れる
「ん、じゃ取引頼むな」
「あいよ、伝票お願いな」
「・・・・・・初」
「なに?」
「・・・いや・・・・・・・・・・・・・・・なんでもないや、気ぃつけて行けよ」
「上等」
ぱふ、トイレの扉が優しく閉じた
空気に守られて、叩くような大きな音は鳴らない
動かない扉に向かって、花は小さく言う
「・・・・・・・・・・ごめんね、初」
花はセクションに戻り、瀬田の所へと足を向けた
昼休みも終わり、りんりんと電話は鳴り響いている
窓を背にして、ノートパソコンに向かって神妙な顔つきの男
その横についた
「部長」
「お、長坂か、いいトコ来た・・・・このなぁ、excelの使い方がわかんなくてよぉ、なんで計算式認識しねぇんだ?」
「・・・・・・・・数式の前に、=を入れるんですよ」
「ん、お、本当だ、いやサンキュー、ありがてぇ・・・・・・」
かたかたかた
不器用なキータッチの音が鳴る、花の事など気にしているそぶりは無い
「あの」
「原田は、一人で出るのか?」
「・・・・・・はい」
「そうか・・・・・・・・・・・頼む」
「はい」
かたかたかたかた
相変わらず不規律な音が響いた
花の姿はもうそこにない
機器メーカーというだけあって当然、技師というのがいる
製品開発をする技師やメンテナンスをする技師など、技術職を指すのだが
中でも製品の特徴を営業戦略に生かすため、機器の説明をするという仕事がある
それを専門にやるのが、開発部、という部署だ
開発というのは、商品開発ではなく、販路開発、開拓という言葉の方が比較的具合がいい
そこには、技師として数年から十数年腕をならし
新製品開発をする力が無くなった年寄りが配属される、墓場のような場所だ
もっとも、名誉ある墓場だが
その開発部に長井六郎という男がいる
まるで象のような男だ、大きな背中、座っている後姿は岩のような男
顔は案外かわいらしく、いかつい中に愛嬌を持っている
年は、もう、50に手が届く、三菱の中でも相当の古参だ
花と初は、この長井という男にずいぶん世話になった
花の例の男と三人だった頃、世話役として公私とも非常に仲がよかった
特に初にとっては、親父のようなそぶりもあり
男嫌いの初が唯一、心を開いて話をしたオスだった
時が過ぎて年をとりすぎて、緩慢となってくる動きから
開発部でも前線を外れて3課という内勤をすごしていた
そこでカタログの説明書つくりなど、そういう仕事をこつこつと重ねていた
もともと朴訥としていたし、不平不満も言わない職人気質なところもあって、
男気がある不器用な無骨さが人間的な魅力だった
だけどそれは社会人としての弱点でもあった
会社の地下、そこに今はひっそり勤めている、薄暗い場所、名誉の墓場
花は、そこへとやってくる、
左に納めた刀は殺気を放っている
営業部が任せられたリストラ対象者の最後の一人に
この長井六郎は、名前を連ねていた
些細な事で、この職人は上からの指示をつっぱねたから、反逆という罪に袖を通した
瀬田も長井には世話になっていたらしく、どうにかしようと思ったようだが
決定は覆らない、ならば自らの手で・・・・とまで考えたが、敢えて
花にこれを話した
「私だけでやります」
「原田はどうするつもりだ?」
「初にはやらせません、絶対に、これだけは譲りません」
花は戸惑うそぶりもなく、判然と瀬田に断った
いつまでも中途半端な位置で仕事をしている自分に対する試練
そんな言い訳を並べる、26歳の女だからそろそろ、こんな仕事をこなして
もう一つ上を目指す・・・とかなんとか
本心は、違う
長井は、花と太郎の事を知っていて、初と尋常ならざる縁がある
初には絶対に斬らせたくない仁で、自分にとっても思い出が多い仁
斬り手を担うにはそれくらいで充分だった
覚悟をもって最初から斬る気を抑えることなく、開発部の扉を叩いた
「開いてるよ」
声を確かめて、花は奥歯を強く噛む、思いが駆け巡る前に終わらせよう
そんな気持ちから少し焦っている
想い人を斬るのは、初めてじゃないさ・・・自虐めいた微笑みを浮かべて扉を開けた
部屋の奥に、いつも見慣れた、大きな背中がのそりと座っている
本当、象みたいだ、男とはかくも大きいもんだろうか
「長井さん・・・・・・殺しにきた」
「ああ、判ってる・・・・・頑固モノはいけねぇな、逆らったらダメだなぁ」
「判ってるなら話が早い、行くよ・・・・・」
「ああ、お前のなら痛くもねぇだろう・・・・・・初坊じゃ、そうもいかねぇが」
ぐらぐらぐら、笑った拍子なんだろう
大きな背中はくぐもった声を漏らしながら揺れた
ごわごわとした大きな体躯は、すでに受け入れる精神を持っている
花は少し安心して、鯉口を切る
「・・・・・首斬りが使命なんだけど・・・・腹切ってもいいよ、長井さん、立派だったもん・・・・」
「悪いな、けどいいぜ、そんな気ぃ使わなくてもよ、それより、ちょっと話聞いてくれや」
「長井さん、そいつは」
「なに、大して時間なんざかからん、そのな、初坊と太郎の話だ、聞かせとかなきゃいけねぇ」
ぐらぐらぐらまた肩を揺らして笑った、大きな体はもそもそと動いている
花は答えずに足を止めた、もう、情念が蓋をこじ開けて上ってしまった
それに、初と太郎の名前を聞いて、殺意が鈍った
「初坊のことなんだがな」
「花、お前、初坊に対して過保護になってる、盲目になってる、改めろ」
「あの娘は、あの娘なりに順調に成長しているし、お前が思うほど幼くない」
「お前の、そういう妙な庇い立てが最近、初坊を困惑させてる」
「あの娘は、ずっと機微がわかるし、思慮も深い・・・・もう立派な女だ」
「花、お前は隠していられるつもりなんだろうが、もう気づいてるぞ」
「あの時に、太郎と初とで、初を選んだんだということな」
長井は一人話し続けた
一文を何度も繰り返すように、会話ではなく
ただ浴びせるだけの、台詞を丁寧に発音し続けた
最後の一文は、花を青白くした
「初坊はな・・・・・・・それを、恩に感じてる、身寄りとかそういうのに近い本当の温かさだと、思ってやがる」
1年になるだろうか
初と花は、近江太郎という男と三人でチームを組んでいた
太郎は、まだ新入社員で、おぼこい顔と人懐こい笑顔を常にたたえた
あまり殺伐とした営業戦場にそぐわない見てくれだった、実際はその対偶だったが
チームを組んで半年ほどして
紆余曲折があり、花が太郎と付き合うこととなった
「・・・・・・・花って、男も大丈夫だったのか」
「そうっすよ、だからほら、俺も初さんとは姉弟になるんだぜ」
ぼかすかどこばき
女二人が本当に殺すかと思うほどの暴力を働く
太郎は、歯に衣を着せない口振りで、素直な奴だった
それだけに、少しバカだった
よく上のような台詞を吐いては、二人に殴り散らされていた、ことによると瀬田なんかにも
そうやって構われていた
太郎はともかくバカだった
そのせいで、
「長井さん・・・・・・・・・そいつぁ、あんたも、初も誤解してんだよ」
「・・・・・・・・・」
「あいつは物事をわきまえないバカだったから、粛正したんだ、別に誰のためでも無かった」
「ほぅ」
「殺したいから、叩き斬ったんだ」
長井のすぐ後ろに立った
相変わらず背中は大きく、岩盤のような印象を受ける
花は静かに、もう一度殺意を呼び起こす
ひきこんでしまった、自らの野蛮を外へと、外へと、自らの外へと
「お前もバカだ、まったく、似たもの夫婦」
「・・・・・。」
「太郎の事を、そんなに気にしていては、お前は先に進めんよ、俺を斬ったくらいじゃ、上がれやしねぇ」
「なにを」
「最近焦ってんだろう、自分の年齢に、過ぎていく月日に、断り無く過ぎる時間を横目に
未だ振り切れず、もやもやとした後悔を背負い込んでる」
「長井さん、時間だ・・・・・」
「聞け馬鹿者!」
!
ふるっ、全身が脅えた
ぞくりと悪寒が駆け抜けて、脊髄のあたりが止まれと反射を起こす
長井の大きな圧力が、花を呑んだ
「初坊は大人になってきた、お前はいつまで、そうやってガキのまんまで過ごすつもりだ」
「・・・・・・・るさいよ」
「自分だけが傷ついてるとか、たわけた事考えてやがるだろう、最近動きに精彩を欠いてるのは
年齢なんてバカな病気じゃねぇ、てめぇの気持ちの問題だ、目を背けるな」
「長井さん・・・・・・うるさいよ、ダメだ、時間だよ・・・・斬る」
「花、一人で抱え込むな・・・・・・・・・・お前には、初坊が居る」
「黙って・・・・斬るから・・・・斬るから・・・」
つと、言葉に反して花の動きは止まったままだ
心が掻き乱されおそらく刀を抜いても斬ることはできないだろう
言葉だけは否定の意味を帯びて、口をついて発せられる
けど叱られる子供のようにして、花は口答えするだけだ
「違うっ、そんなんじゃっ、あいつがバカだったからっ」
「バカなだけで人斬る奴がどこに居るっ、阿呆かっ」
「るさいっ、違うったら違うっ、太郎がバカでっ・・・・」
「ああ、バカだった、お前も一緒にバカだよ、てめぇらで責任を取り合ったんだろうっ、ガキが出しゃばって
俺が悪い、俺が悪いと泥を被る快感に痴れてたんだろうっ」
「そんなに安くないっ!!!!!!、ミスは、私がっ、だのに、あのバカが・・・・・・・・」
「まだ解らんのか、てめぇだけが悪かったってぶってるだけじゃ、誰も報われないし、何の解決にもならんのだ」
「・・・・・・・・・・・」
「太郎はバカだが、そこらが解った、だから、」
「いいか花、初坊と分かち合え、太郎が追い込まれたのは、お前だけのせいじゃない、初坊とお前と、二人で背負う問題だ」
「いいか、俺から言わせれば、お前も初坊もガキにゃ違いねぇんだ、それが片っ方だけ可笑しく大人ぶんじゃない」
「ガキはガキらしく、自分と向かい合う為に、他人を見ろ・・・・花、わかったな」
「・・・・はい」
ぐしゅ、鼻に痛みが走る
ついぞ忘れていた涙がぼろぼろとこぼれる
女は無料(ただ)で泣いちゃいけない・・・・・・、昔教わった事を反芻してもなお
くぅと小動物が鳴くような声が漏れた
花は泣いた、目を伏せて溢れる雫を床に落とす
ぶるぶると感情に震える身体を必死に抑え込み、右手を柄にかける
・・・・・・・・・・
「?・・・・・・・・・・・長井さん?」
わずかな時間を置いて、黙りこくった象の男を呼んだ
じっと、岩は動かない、どしりと下ろした身体はぴくりともしない
不審に思い、花は横に廻る
「・・・・・・・・・・・・ながいさん・・・あんた・・・・・・・」
象の男は事切れていた
後ろ姿では見えなかった、おびただしい流血が前面にたまりを作っている
痕は、自刃のあとではない、切り上げて払い下げて突き刺す、その三連の傷だ
切り上げて払い下げて突き刺す
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うい・・・・・・・・・の手だ」
切り口で解る、どんなに辛い思いで仕置いたのか
「・・・・・・・・・・・・本当に、ガキなのは、わたしだけじゃないか」
安っぽい感情を振り回す内は、青臭い証拠
花は、自分が初に対して起こす一定の熱を
大局では、陳腐なものだと、自覚しようと努力した
たくさんの言葉を思い出して
たくさんの教えを顧みて
たくさんの感謝をする
象の男は静かに死んだ
名誉の墓場にふさわしい、荒々しく恥じる事のない終焉
見送るものが少ない、美しい死に際だった
象の男は、娘に斬られた
手は浅く、一人の娘に傷を入れられ
もう一人の娘に看取られて
男は眠るように目を閉じた
ラーメン屋
「な、ここ旨いだろ?」
「んー、花ってこういうの見つけてくんの本当凄いな・・・・・驚くべき才能だな」
「褒めてんのか、けなしてんのか・・・・」
「イヤ別に・・・・・でも、ほら、チャーシュー旨いし、餃子もやるのな」
「最近は、なんでもこってりにしたらいいとか思ってやがるけど、ここは本格派だろ?」
「んー、そうそう、正直飽きてたんだよな、最近のあのこてこて嗜好は、ここはいい店だ☆」
ずずーーー
「なぁ、初・・・・・・・・・・・長井さんな」
「・・・・・・・」
「リコール隠しを拒否したんだってさ・・・・命がけで、製品守ったんだってさ、今日、斬られたって」
「そーか・・・・流石だな、オヤジ、頑固だったもんなぁ、妥協しなかったんだなぁ」
「ああ・・・・・・・・・・・・・バカだよな、・・・・・・・・太郎と一緒だよ」
「んー」
「あのな、初。太郎とお前とを選んだんじゃないよ」
ずるずる
「本当に殺さないといけなかったんだ、あいつが、土壇場でさ、勤皇だったから」
「ああ・・・・・、話したくないならいいよ、別に・・・・あとさ、」
たまには花だって泣いていいんだよ
ほら、今日ならラーメン奢るから、無料じゃないんだよ
だから、泣いていいんだ
見返りが無いのに女は泣いてはいけない
そう教えたのは、そう、あのバカだった