スピリット オブ ヤーパン


暑い

蒸し暑い

湯気が、陽炎が、朧な現実を作り上げる
こんなに汗をかく季節じゃない、おそらく外は
もっともっと涼しげで、新鮮な空気が満ちあふれているんだろう
ここはただ、暑すぎる、湿気とか熱気とか、不快指数がともかく高い

武専の道場の中、春の頭に浮かんだのはそんなことだった

その全身は自分からあふれ出た汗でずぶぬれになっている
こんなに汗かいたのはどれくらいぶりだろう
ぐっしょりと重たくなった、髪や胴着を手触りで確認する
触る手は震えている、意志とは無関係に細かく揺れる、乳酸が全身にたまっているのがわかる
筋肉が限界を訴えている証拠だ

心地の良い力の抜け方をしている
まさに全身全霊を打ち込んだ、自分の全部を出し切った
そういう達成感もよぎる、今身体にあるのは、脱力感

「・・・・・・・・・・・・・・・刀、新しいのを買おう」

手にある竹刀を見て、自分の今の刀を思い出す
今差してるのは、中学に上がる時に買った奴
長く使っているようだが、人を斬ったのは数回
斬った数の割りには、すっかり旧くなってしまっている
新しいこしらえと、サヤが欲しいと思った
鍔も新調しよう、目釘も少しこだわろう、思いを巡らせた
なによりも、刀が欲しいと、願った



前日の下校途中

「ねぇ、春の刀ってひょっとして年代物?」

「え、どうして?」

いつものように人目を忍んで
周と一緒に帰る所、自転車の後ろに立っていた春は
その質問に、柔らかい笑顔で、疑問を唱えた

「だって・・・・・・・なんていうか、拵(こしらえ)が古いから・・・・・・ひょっとして、銘刀?」

「あ、違うよ・・・・・えっと、中学上がる時に買ってもらった奴かな、私あまり見た目とか気に掛けないから」

てへり顔で答えた、だが、その答えは
周に思った以上の衝撃を与えたらしい、真っ直ぐ走っていた自転車が
急に左右に大きく振れた、周は驚きの声を上げている

「うわ、ど、どうしたの?大丈夫、周」

「ご、ごめん・・・・・・・・っていうか、嘘でしょ?だって、4年も前じゃないその話じゃ・・・・」

「そうだよ・・・・・・・・・って、ひょっとして、凄く変なのかな?」

「変だよ」

断言する周、止まってしまった自転車、とんと春が降りた
困った顔で、周の横についた、上り坂なので歩くことにしたのだ
しかしあまりに驚かれたせいか、おろおろしている春
それを見て、周が説明をする

「だって、普通3ヶ月もしたら、刀ボロボロになるじゃない?」

「あー・・・・・・・・・・・・、わたし、その・・・・・・あんまり斬って無いから」

遠慮がちな声それで、はた、と周も気付いた
そういえば、そういう娘だったと
だけどそれにしたって・・・・・・・・・・・・、刀は斬れば斬るほど切れ味が落ちる代物だ、包丁と同じだ
だから、あんまり酷くなる前に研ぎに出して、本来の或いはそれ以上の鋭利さを取り戻させる
最近は斬るモノの耐性が強くなってきてるから、なおのことその回数は増える傾向にある
研ぎに出した刀は鋭利さを取り戻すが、同時に少しずつ薄くなっていく、削りだしていく作業だから当然、
薄くなり、また鐵が古くなるにつれ強度が落ちる、折れるような刀は怖くて持っていられない
そういう事を、周は言いたかったのだ、常識的に4年も同じ刀を持っているなんてのは
現代刀についてはあり得ない話

「そうか・・・・・・・・・・・・・・・・春は、そうだよねぇ」

仕方ないなぁ、って顔で春を見る周
その様子に、なんだか子供をあやすような仕草を見た春は
懸命に言いつくろう、妙な意地だ

「ああ、でも・・・・・・・・いつも、抜く前に柔でなんとかしようって思っちゃうから、あとほら、田舎出身だからそういう機会もあんまり・・・・・」

しどろもどろで春の弁明
その様子に輪を掛けて、あやす声を漏らす

「本当に、斬ったことが、無いんだね」

「や、ち、違うよ・・・・・・・・な、何人かはあるよ・・・・えっと、上ってきたばっかりの時にも一人・・・・あと」

「違うよ、そうじゃなくて・・・・・・・・」

「あ、あまね?」

笑顔が寂しそう
ありきたりの表現しか思いつかない、そんな表情をされた
その顔に春は、自分の進んできた道と、周が歩んできた道の差を少し感じた
だけどそれは、周にも在る思索、それ故に上の台詞が口をついた
ただ周の場合は、差というよりは違いの方が具合がいい
春に比べて自分の道は、なんと血にまみれているのだろうと、汚れていない、いや、幼い春を見てそう思った

「私は確かに、刀を変えるのが多い方だけど、春はあんまりだよ・・・・・・」

「そうかな・・・・・・・・・」

「せめて、拵(こしらえ)くらい新しいのにしないと、なんていうか、滑稽だな」

「こっけい?」

「うん、流行に乗れとは言わないけど、乗り遅れてるのがあからさまなのはどうかと・・・・・・・ね」

しげしげと春は、自分の刀を見た、言われてみれば今時こんな拵見たことない
中学に上がる前に、家族揃った間で預かった物だ
取り立てて銘刀でもないが、ナマクラでは決して無い、業物に匹敵する
それくらいの刀だ、滑稽だと言われては、自分よりも刀を可哀想に思ってしまう

「周は、刀を自分で買ってくるの?」

「え?」

「いや、なんとなく、誰かに選んで貰ったりするのかなって・・・・」

「ああ、刀は自分で選ぶよ、馴染みの店があるからそこに行って・・・・・・・常套はそれだね、余所行きもあるけどさ」

「余所行き?」

「うん・・・・・・・・・・その・・・・・・、実戦に向くんだけど、平生の喧噪に使うのはもったいないようなのが」

「銘刀ってこと?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・そう、だね、大業物」

「凄い、まだ高校生なのに・・・・・・・・・・・そういえば、周の家って・・・・・・」

曇った
周の顔に、影がすとりと落ちた
春はことさら敏感に感じ取って、口ごもる、しまった、ここは踏み込んではいけない所だ
だけど、ここですぐに話を変えられるほど春は器用じゃない
途中になった言葉が、沈黙を更に更に気まずくしてしまう
狼狽える春、周は小さく呟く

「いや・・・・・・ごめん、実家とは、あまりうまくいってないんだ・・・・・・・ごめんね、気を使わせたね」

ずきり
春はどこかが痛むのを覚えた、口を小さく開けて
何かを言おうと努力する、けど、何かがどれなのかわからない
言った途端に違うことになりそう、捉えられない物を捕まえるのは容易じゃない
春は、自分の語彙の少なさと、こういう時の弱さを呪う、口惜しそうな様子が気配に滲む
だけどそんな様子が、周を想う他人が居ることが、周を癒しているのだが、春は気付いてない

「そうだ、今度一緒に刀見に行こうか・・・・・・・・お店、紹介するよ」

「え、本当?」

「ん、私もそろそろ新しいの欲しいって思ってたし」

「そうか・・・・・・・・、オーダーメイドってできるのかな?」

「うん、それくらいは・・・・・・でも、高いよ・・・・既製品じゃダメなの?」

刀への執着が無いはずの春の台詞に、いささか不審を抱く周

「いや・・・・・その、長さが・・・・・・私、特殊だから」

恥ずかしそうに答える、そういえば、不思議な大小だった気がするな
周は、初対面の時に油断無く探っていた記憶を掘り起こした
妙な二本だった、それを思い出す

「大は短いのに、小は長いよね、春のって」

「うん、2尺2寸と、1尺9寸」

「また、アンバランスな・・・・・・・示現流だから?」

「え?うん、そう、流儀のせいかな・・・・・・・・一振りが早くなるようにって」

困り眉ではにかむ春、その様子が不自然な気がしたが
周は、特につっこむことなく聞き流した

「あ、そういえば周の刀って、柄の所が面白いね」

「??」

「ほら、柄の途中と尻の所に、二カ所凹みがあるじゃない、かっこいいって思うんだ、おしゃれ?」

ちょんと、腰の物を指さした
くだんの部分は確かに、柄巻きが目に解るほど凹んでいる

「ああ・・・・・・・・これは・・・・・・・・私、握り混みが強いから、ここだけ先にすり切れちゃうんだ」

よく見るとその柄は、確かにすり切れるような紐が折り重なっている
特に二カ所、今にも切れてしまいそうな姿になっている
春は不思議そうに、それを見つめる

「あたしはそんな風にならないなぁ・・・・・木刀でも、竹刀でも、柄のヨゴレは一定だし」

「・・・・・・・・小指芸」

「?・・・・・なに?」

「口伝だから、本当は他流派に言っちゃいけないんだけど、これはそのせいなんだ」

周は悪いことをしているなんて毛頭思うことなく、春に話す
小さな公園に入って、がちゃがちゃと自転車を立てて止めた
静かに柄を握り刀を抜いて見せる、抜くその手、ちょうど小指がかかる部分が
指摘された凹みになってる

「小指芸って言って、両の手の小指に癖があるんだ、握り混みの時にちょっと小指に細工をするから
ここだけ先にすり切れちゃうの」

ひゅんっ、言いながらゆっくりと一度刀を振って見せた
腰を入れず腕振りだけで、小手先で刀を煽ったのに、筋は見事に通っている、何より疾い
春は驚きでそれを見ている

「この握り混みのおかげで、うちの流派は、力と速さを同時に手に入れてるんだ」

サヤのうちにまた戻る刀
柄を離れた周の手は、確かに小指と薬指に少し他と違う物を感じる
なんと言うとよいのだろう、多分、これが癖がついているということだろう
春は、感心して一つ頷いた

「小指とか薬指とかが・・・・・その、秘伝なんだね」

「まぁ、そうだね・・・・・・だから、私、ほら、グワシとか簡単に出来るんだ」

ぐわしっ
得意げにそれを見せる、グワシとは遙か遠い過去の遺物だ
詳しい説明は避けるが、相当な難易度の手芸だ
くすくすと、それを見て笑う春
小さな公園は、呑気、そういう感じがしている
自転車をそのままにして、近くのコンビニで中華まんを買ってきた

「甘党?」

「うん、あんまん好きなんだ」

はむり、周がさも旨そうにそれを頬張った
まだ、寒いというのには遙かに遠い時期だ、秋の様子が
ようやく見えたかそんな時節だが、最近は夏でもおでんを売るような状況
二人、熱いそれをはむはむと食べる

「特級は大変?」

「まぁ・・・・・・・・・・そうだね、授業内容は厳しくなったし、科目が増えるしね」

「科目?」

「うん・・・・・・・・・・・、春も来るつもりなら覚悟をしておかないといけないよ、もっとも
覚悟を決めさせるための、そういう科目だけど」

「・・・・・・それは、人を斬るってこと?」

はむりはむり

「そう・・・・・・・・・・・特務っていって、単独任務として人斬りを命ぜられる・・・・・・そんな世界を見られる」

周は、不思議な顔でそれを言った、誰に向けた声か解らない呟きは
前々からそんな世界を知っていて、今更見せられても茶番だ、そんな事を思っているようでもあり、
その世界は、春が知らない世界で一刻も早く知った方がいい、そう言っているようでもある
ともかく、確然つけがたい、そういう横顔、均整の取れた、目鼻が美しいと思うそういう角度
周の顔が、大人びて見える、春は羨ましくそれを見とめた

「ん、私・・・・・・・・・・・早く追いつくよ」

「ああ、大丈夫、春は強いよ、実力は充分だと思う」

「いや・・・・・・・・・そうじゃなくてね」

あんまんを食べ終わった周は、春を励ます口調で喋っていた
それを趣旨が違うと唱える春、食べかけのピザまんを口に放り込み
とんとんと胸を叩いて流し込む

「周を一人にさせない・・・・・・・・・・・追いついて、二人で・・・・・・・・・ね、すぐだから、待ってて」

春は真っ直ぐな目でそう告げた、あんまんのせいでもないだろう、周は内側がぎゅぅと熱くなるのを感じる
思いも寄らなかった、不意打ちのようにそんな言葉を聞かされて
素で、感激をしてしまった、恥ずかしいとか考える間もなく
するりと、身構える前の周は一撃をもらった感じだ
優しさ、思いやり、・・・・・・いや、そんな陳腐じゃない、何か
胸につまった想い、いっぱいだから、ありがとうの一つも言えない

「ねぇ、周・・・・・・明日、夕方18時過ぎに、道場に来て」

ベンチから立ち上がり、尻をさっと払う
春は前を向いたままで、約束を囁いた

「?・・・・・・うん、わかった、道場で待ち合わせよう」

周は、その真意を測りかねたまま、まぁいつもの下校待ち合わせかと気軽に頷いた
そのまま、そこで別れた、そして、今日
冒頭の通り、道場で、春はずぶぬれになっている
18時は、すぐそこだ



からからから

「・・・・・・・・・・・・・・・あまね?」

「ああ、18時だよ」

するりと、涼しい風が道場に吹き込んだ
新鮮な空気が、ようやく春を満たそうと周りを取り囲む
外から入ってきた周は、その酸っぱくなるほどのむしむしとした感じに
一瞬、しかめたが、慣れたものですぐに忘れた
入った扉から真っ直ぐ一番端に、壁を背にして座っている春を見つけて
微笑みかける

「お疲れさま」

「うん・・・・・・・・・・・・本当、疲れたよ」

「歩ける?」

「大丈夫」

立ち上がる春、休んでいたのは周の迎えを待っていたからなのかもしれない
全身に知れ渡る疲労感とは裏腹に、軽い足取りで周に向かう
歩く姿はしっかりとしている、疲れは見えるが、満足した気持ちがそれを上回っている

「周、昨日の話だけど、明後日の休みにさ、刀見にいこうよ」

「ああ、わかった、・・・・・・・でも、本当に必要?」

周は、たしなめるように春に言う、顔はいつになくイタズラだ
それを見ていつもの困り笑顔は、こう答える

「明日からは・・・・・・・・・・・ほら、刀が必要だからね、どうしたって斬れる奴がさ」

言った不器用な娘の周り、道場の中には、30人の女が倒れている
1時間に及ぶ、激闘の末、春が全て打ち倒した相手
竹刀で昏倒させる難しさは計り知れない、だからか
体術でのした相手が相当数にのぼる
周は、それを知っていて、刀の必要性を問うたのだ、無刀でいけるんじゃない?なんて

「おめでとう」

「・・・・・・・・・・・うん、明日からは二人だよ、周」

「ありがとう・・・・・・・・・・・・春」

からからからから
扉が閉まる
もう、誰にはばかることなく、二人で歩く事が赦される
誇らしげに、斜陽を浴びる春の顔は、ほんの少しだけ凛々しい

斉藤 春、30人抜き試験突破にて、特級昇進

つぎ

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