鈴音御使


甘鈴を中心にして
大きな力の輪が広がった
円輪、輪切り状の波動だ
輪切りが広がっていくと、内側にあたる空間が破綻を来し始めた
ぱりぱりと音をたてて、水に触れた氷が爆ぜるような強い軋みを産む

甘鈴の意識は、ひどく不安定になっている、自分の輪郭を喪っている、
ただぼんやりと、眼前にある敵性の何かを叩きつぶす
そういうことだけを呟き続ける
意思ではなく、もう、呼吸をするのと同じように
それだけをする
急速に甘鈴の命が削れていく、それに増して龍の姿が鮮明になっていく

「…潰れろ、敵よ」

つ、た、
龍が奔った、足音は思ったよりも軽いそれだ
猫や犬の足音とは違う、は虫類のそれに近い
ぱ、たたたたたた
血が走る音に似ている、鮮血が床に飛び散るその音
足跡はなく、影もなく
その獣が男にめがけて飛びかかる

「術が、乗っ取られ…いや、破られかけてるのか」

冗談だろう
そんな顔をして、男は少し笑った
目の前に、とてつもない爆弾がある
これを爆発させてはいけない
幸い、この空間は、まだ、男の術の内だ
破られつつあるとはいえ、効果がある内に全てを完遂させる

飛びかかってくる龍をかわす
かわすという表現で正しいのか?
避けるという行動でもない、払うという動作でもない
その幻に対して、最大限の注意を払い、触れないように意識する
そして、少しずつ甘鈴に近づいていく

幻術の類だ、本体を叩けば全てが大人しくなる

男はこの現象をそう分析した
物理現象として、幻獣を呼び出すなどあり得ない
そういう幻を見せられているに違いない
だが、脳を乗っ取られているのに等しい状態だ
龍に触れた途端に即死の可能性もある、一刻も早く術者を止めるしかない

「このっ!」

龍は凄まじい速度で、屈んだ男の頭上を飛び越えていった
半壊したとはいえ、この男が作った迷路の中、つまり男の術中だから、
直撃しそうになれば、空間を歪めてかわせる

かわしながらタイミングをはかる
三度もやり過ごしただろう、動きの規則性を見破った
何せ無意識が行う攻撃だ、自然とパターンが絞れてくる
訓練された得意の連携なんだろう、よくできていて理にかなっている、
悲しいかなそれは、努力の成果であるが、弱点だ
甘鈴のそれは、あまりにも愚直に同じことを繰り返している
男はそのルールに従い、丁寧に智恵の輪を外すようにくぐりぬける、そして

「とりあえず、寝かせてやるよ、随分頑張ったじゃねぇか」

男がついに甘鈴に取り付いた
ヌケガラのような少女に札を突きつける
それは効果を喪っていない札だ
それだけ頑丈で、自信と力に満ちた秘術の札
そっと、甘鈴に貼り付け…

ばふ、

「!?」

男は驚いて、声を出すことも忘れた
甘鈴だと思っていたそれに触れた瞬間
その少女だったものは、蝶の鱗粉のようにして、細かなチリになって消えた
いや、男を囲い込んだ、霧に包まれるように鱗粉が舞い広がる

「なんだ、これ?わ?!!!!」

ぐるり、龍が男を囲ってとぐろをまいた
刹那、男の術が敗れた、空間が屋敷に戻る
あれほど広いと思っていた場所が、ただの廊下に成り果てる
迷彩が解かれたそこ、視界が晴れる、男は強烈な寒気を覚える
足下に、見慣れた札が山ほど貼り付けられている
甘鈴が自爆した、あの方陣

爆炎の秘術方陣の真上

「はは、やってくれるじゃねぇか…」

さらにそこへ、龍が真っ直ぐに突っ込んでくる

「龍そのものが本体だったか!!!」

くぇええええええええええ、
龍がアギトを開いた、紅蓮の炎が見える
それが起爆剤、いや、着火剤だ
そのまま突っ込んできて、男を飲み込んで爆発するつもり
挺身特攻、狙ってやったんじゃないだろうが
秘術が暴走している、もう、自分の力では止められないんだろう

「だが、直線的な攻撃は玄人にゃ効かない、悪いなお嬢ちゃん」

それでも男はゆとりを失わなかった、最後までへへら笑いを浮かべて、
札ではない、自分の指を切った
血が走る、それを宙に播いた
術式が描かれる、龍の目の前にそれが立ちふさがる
龍はかまわずに突撃してくる、網にかかる、蜘蛛の巣糸に似ている
術式に頭を突っ込んだ瞬間、龍の全身に凄まじい痙攣が走った

ぱしゃ、水のような音、龍の姿が液体になって霧散した
甘鈴が姿を現す、とたた、何歩かよたついた後
べちゃり、床に叩きつけられる、龍の姿を解かれた

「うぅ…」

「惜しい、とも言ってやれんな、未熟者さんよ」

男は見下ろして、意識朧な甘鈴に言い捨てる
弱っているであろうことを見越してか、ことさら大きな声で
はっきりと言い聞かせるようだ

「俺との力量が段違いだってのに気づけないのもいけない」

「…」

「挙げ句、特攻けしかけて失敗では、笑えない話だ、犬死にだな」

「…ヨウさん、ごめん…ごめんなさい…」

甘鈴が悔しさをこぼした
どうしても勝てない、それを自分の力以上のものを出してわかった
何もかもが、まだまだ、とても足りないのに
気概だけでは絶対に倒せない
そんな当たり前の事実にブチ当たって、見事に砕けた
心に浮かぶ、すがるように、祈る

「ヨウさん」

ちりん、

「リン、遅くなった」

声は近くにある
意識が朦朧としている、それは妄想かもしれない
鳳凰が降りてきた
甘鈴の目の前に、優しい光とともに、輝く鵬(おおとり)が舞い降りた
幸福を呼ぶ北鈴が鳴る

「うそだ」

「まぁ、色々嘘はあるが、俺は本物だ」

「鈴の音が、ヨウさんのはもう」

墨曜の割れた鈴は、甘鈴の道具袋の中にしまってある
何度もそれを見ては涙を流して、また練習をした
そういう日々の思い出とともに眠っている
だけど、今、墨曜らしきそれから、鈴の音がした
聞き間違えることのない、「鈴音」がした

「あの鈴は古いヤツだ、今の帝から賜ったのがこれだ、本当の俺の鈴だ」

ちりん、
強く鳴らす、その音が心地よく甘鈴の耳に届いた
もう大丈夫だ
そんな気になる、ふわり、暖かなものを感じる
温もりというのだろう、安心というのだろう、これが幸福というのだろうか
墨曜は古参にあたる、先代の帝の内から仕えていた
だから、以前に割れた鈴は、その時のそれにあたる

もう、大丈夫なんだ

甘鈴の意識はそこで途絶えた
次に目をさます時、全ては終わっているのだろう
術の反動もあるのか、深く、暗い闇に沈む
ちりん、微かに鈴の音のみが耳に届いていた

「お、お帰りなさい、ヨウさん」

「おう、今日は普通の顔してやがんな」

「何度も殴られるほど、バカじゃぁ無いっすよ」

光彦はそう答えているが、実際は客商売で顔に腫れ物はよろしくないと
店主がよろしく、尻叩きに変更しただけである、ちなみに尻の大きさが
以前の3倍ほどだ、尻が割れる、なんてお決まりのことが言えないほど
というか、もう、腫れすぎてくっついて一個になってんじゃねぇかとか
まぁ、どうでもよい

「…」

「リン、何食べる?」

墨曜は甘鈴と一緒に、いつもの場所までやってきた
何日、いや、何ヶ月か前に見た光景だ
季節が変わったせいかメニューも大きく変更されている

「お、冷麺あんのか、いいな、旨そうだ」

「今年かららしいんですけど、いや、好評ですよ」

「リン、お前もこれでいいだろ、よし、二つ」

「あいよ」

「ちょっと、ヨウさん」

「あんだよ、追加か?冷たいのは嫌か?」

リンがじと目で見る
光彦も勘がよくなったもので、するするといなくなる
二人の席は店から出た、いわゆるオープンカフェ状態のそれだ

「どゆこと?なんで、光彦さんあんなに当たり前なの?っていうか」

「ん、まぁ、なんだ、別に死んだわけでなかったし、仕事してたからなぁ」

墨曜が言葉を選んでいる、目の前の娘からカゲロウが上って見える
うっすらと、龍の姿を帯びているようにも思える
知らない内に使いこなせるようになってきているのかもしれない
まだ春先だというのに、随分と熱いなんて、思ったりもしている
ちらり、まわりを見渡すと、なぜかオープンカフェには誰もいない
そして、店もこの暑さの中、戸を閉めている

「その、今回のはな、特別な任務で…」

「私はダマされたってこと?あんなに、本当に、どうなったかって」

「泣くなバカ」

「バカは、ヨウさんじゃないかぁ」

ぐすし、怒りは解けていない、だが、感情はあっちこっちに起伏を見せて
まるで制御がきいていないらしい、女の子にはよくあることだ
泣いているのか、怒っているのか、安堵してるのか、なんなのか
墨曜は、そう思って、小さくため息をつく
確かに悪いことをしてしまった、と、思わないでもない
しかし、命令で仕方がなかった、そう言い訳する

「今回のは入り組んだ話だった、ひとつ不正県令の始末、ふたつお前の教練、そしてみっつ…」

「隊内の浄化」

「お、気付いてたのか」

「今わかった…、なんかおかしいと思ったんだ、指令の出方とか」

「宰相派の息がかかったヤツが紛れてた、そいつを炙り出すのに俺が不穏分子のマネをしたわけさ」

「で、全部うまいこといったんでしょ」

「まぁな」

死んだと思われていた墨曜が、その不穏分子を文字通り闇に葬った
こういった組織ではさして珍しくないことなんだろう
その内ゲバのような気持ち悪さは、慣れることのない悪臭を放っている
甘鈴はまだ、そのすえた臭いを嗅いでいない
そんな無垢に見える

「あの駄洒落男は結局なんだったの」

「あれも鈴だ」

「ええ”!?」

「あれは埋伏させてた工作員なんだ、名前は知らないが、杏介あたりと親好あんじゃねぇか」

「なによもう、なんていうか、バカみたい」

ふてくされる甘鈴、そこに丁寧な口調で墨曜が呟く

「だから手加減されて、お前は死ななかったんだ、生かして貰えたんだ」

「…」

子供を諭すのは大変だ、
ずっと昔からやってきたことだが、本当に嫌な大人だと自分を顧みる
嫌味を伴う説教なんて、垂れるような大人になりたくなかったとか
それこそバカみたいなことを考えてしまう
冷麺がやってきた、ひえびえとして実にうまそうだ

「ともあれ、これに懲りて辞めるとか言うと思ってたが、まさか短期間でここまで成長するとは天晴れ」

「でも、秘術ばっかりじゃダメじゃん」

「そこまで解ればまずまずだ、今後、秘術で勝負とかいう馬鹿なマネもすまい」

「はいはい、悪ぅございました」

ずぞぞぞ、甘鈴は女の子とも思えないような仕草で冷麺を食べていく
墨曜は、苦笑いしながらもその様子を満足げに見つめる
もう少し補完をする
くだんの県令は太めの秘書をつけるという買収工作で天帝派になった
その工作も墨曜が担当していたのだが、無事成功した
先に提示されたとおり、三つの案件を片づけたのだが
この片づけるという一連の仕事、それこそが、鈴音御使の仕事だと墨曜は考える
そして、甘鈴はぼんやりとそのシッポを捕まえた
平たくいうと、よい「鈴」がまた一つ増えたのだろう

「まぁ、しばらくは俺と一緒だな」

「そうなの?」

「まぁ、お目付役とおおせつかっているからな」

面倒臭そうに言葉を吐いた
甘鈴は薄く笑う、笑顔を浮かべるという感じだ
自分から願い出たんじゃないかしら
そんな女の子のようなことを思ってみる、まんざらでもない
意地の悪い笑顔を浮かべるほどには成熟していない
墨曜をマネるように、甘鈴も冷麺をすすった
陽射しが強くなってきた、随分と暑くなったものだ

「そういえば」

「なんだ」

「いや、大姐ってどうし…」

甘鈴の声は途中で消えた
そして、聡いこの娘は全てのつじつまをあわせた
何故に店主達は避難したのか
甘鈴が暴れるからなんてことではない、事実暴れなかったわけだし
そうではない、もっと単純で、わかりやすく、こういうことだったのか

「…ヨウさん♪」

「お、その声は夏か…」

墨曜は油断して振り返る
やはりこの人はバカなんだ
甘鈴は、自分が色々とかいかぶっていたんだと理解しつつ
彼女もまた、そそくさと冷麺を持って離れる
声が遠くになっていく、喧噪?口論?口げんか?
そんな生やさしいものではない、ああ

「大姉も調練するつもりだったのかしら」

くくく、喉の奥で笑う、直後に人のものとは思えない悲鳴が聞こえた
都に夏がやってきた、強い陽射しの下、色黒の男がおっかけまわされて
冷麺がとてもうまい、そんな日がやってきた

<了>

ご愛読ありがとうございました

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(09/04/27)

ないわー(流行り言葉)
そんなわけで、後半の地文で説明した内容を書きたかったんですが
描写をまったくせずに、本当、今年の大河ドラマみたいな
ナレーション小説を書いてしまいました、ごめんなさい
ともあれ、このシリーズ打ち止めとしまするところ
駄文長々、ご愛読ありがとうございました
(R)