K


勇気とはなんだろう

サワンは酷く昔から気になっていたフレーズを
頭の中で繰り返した
何かを理解しようと挑むとき、その何かを要素に分解して
研究するという方法を時折選ぶ
勇気を構成するものはなにか

「爺、なのか?」

「…」

暗闇は喋らない
サワンの声は震えている
洞窟の中だから、反響しているせいとは言い逃れできない
恐怖に声がかすれたのがよくよくわかる

「殿下…気を付けて、それは、もしかすると…」

「だ、大丈夫だ、サクラ、カブラもそこから動くな」

大きな声で返事をする
自分が歩みを進めて、どれくらいの歩数を稼いだか想像もできない
まだ、そんなに離れているわけがない
だのに、大きな声で、恐怖を振り払うために叫んだ
二人が遠くなっている事実が、距離以上に大きく長く見える
それでも、足を前に、ひたり、ひたり、一歩ずつ進める

これは勇気かな…

いよいよ震えは酷い、何に脅えているのか、
暗闇?、戦うこと?、爺に?
全部だ、全部がとても怖い
死んだはずの人間と、しかも生前は戦うことにおいて
恐ろしく有能だったそれに挑む、よく知った爺だ、怖くてたまらない
負けるのが、というよりも、殺されることが怖いと想像力だけが駆け抜けていく

「組み手?」

暗闇は相変わらず応えない
しかし、挙動で返答を見せた、ゆっくりと
見たことのある動き、老骨の構えだ、大きくとらえどころがなく
敵に恐怖を抱かせる動き
恐怖は想像からやってくる、そのものに恐怖を感じるのではない
そこから喚起されるものに脅えてしまう

今もそうだ、この構えの前に、まともに立っている自分が想像できない

「「殿下!!頑張ってっ!!!」」

「!」

震えが、少しだけ引いた
二人分の声が届いた時に
応援されているということに、思考が真っ白になった
サクラ、カブラ、ありがとう
二人の言葉が背中を押す、優しく励まされる、腹の底に力が備わる
この瞬間は、無防備と呼ぶに相応しい、空白の時間だった
だけど、闇はずっと見ているだけだった

すた、

サワンは踏み出した、力強く地に足を落とす
柔らかく、自分を中心とした2mほどの円を描いて
存在が一斉に沈む、あるいは、波紋が広がるような衝撃が走る
闇はその足音に引き寄せられて、同じように足を前に出してきた
お互いの体が触れ合うかというほどの位置をとりあう
右脚同士がすれ違う形で、お互いが
相手の懐を臨める姿勢となった

サワンが左の手をそっと伸ばす
殴り合う組み手じゃない、撫でるような
老骨のその基本の型を見せる
左手で敵の心臓を叩く、相手の動きを止めるため最初に習う攻撃だ
この形は最弱の形で、決めることが不可能なほど、ありとあらゆる防御、反撃の方法が研究されている
習うけども実際は決まらない、しかしそれら防御、反撃の方法を学ためにこの攻撃は学ばされる
ありとあらゆる防ぐ手段を講じられ、対抗手段を山ほど築かれた攻撃、
だけど、その威力は最強、万が一決まれば、一撃必殺
相手の、影の、闇の
その胸元深くに左手を乗せる、サワンの腕に闇がせまる
それでも不思議と、落ち着いた心のまま、美しく型をなぞった
どの反撃がとられるか、全ての可能性が通り過ぎていった、残った姿が
現実に重なる

ふ、

「!!な、んだ?」

突然、その気配は煙のように消えてなくなった
元々そこには無かったのか、
いや、攻撃の感触は掌にありありと残っている

「き、決められた…のか?」

「勇ましいことだ、サワンよ」

暗闇の、もっと奥からその声はやってきた
懐かしい声色
サワンは、声の方向に向き直る
それを見てか、サクラとカブラの恐怖が退いた
慌てて、サワンの後ろに駆ける

「父上…」

「息子よ、久しぶりとなってしまったな」

柔らかく微笑みかけてきた
サワンは、かつての父と同じそれを目の前にして、悲しいと心に綴った
傍らに、同じような笑顔の姉上と爺がいる
自分が愛した、その頃の生活を思い出させるそれこれを見た

ぎゅ、

「!…サクラ」

「す、すいません、でも、こ、怖くて…」

サクラが袖をひっぱった
しがみついた、と呼んでも問題がないような気持ちで、
震える手でサワンを掴んだ
サワンは我に返る、そして、自分が希薄となっていたことに気付く

「少し、神話とは異なるようだな」

「それはどういうことですか」

「ただ一人で、ありとあらゆる障害を蹴散らし、やがて天地に光を与える」

「神話の終章ですね」

「はは、まぁ、そういうことだな、だが今回はそうでないらしい」

サクラ、カブラという二人を従えて
しかも、何一つの力も持たずやってきた
系譜が狂ってきている、皇はそう言っている

「ここは冥府、死人がやってくる場所だ、もう解っているな」

「ええ…」

サワンの声が少し弱る
はっきりと、自分が死んでいる、父はそう告げたのだ
サワンは復唱するように、心の内で言葉を抱く

「役目に従い、お前に武器を授ける」

ふわり、剣が浮いて見えた
剣と呼ぶには細く、針のような細い刀身を持った武器
中空を漂い、サワンの目の前にやってくる

「最後の神器だ、鈴、槍、そしてそれが、剣」

「しかし、剣は本城の中に…」

皇は、眉間に皺を寄せた
怒りの形相にも見えるが、違う、
苦悶のそれだと、息子は感じ取る

「そうだ、あれは間違いが無く剣の形をした神器、しかし、今、
ここにあるこれも、紛れもなく神器」

「これも、神話が変わり始めたそれの姿なのでしょうか」

「それは、お前が自ら確かめるのだ」

サワンはそれを手にとった
軽い
脆いとも形容できそうなほど、手にしたその存在は細いものだった

「サワン、役目は、思い出せましたか?」

「姉上…、いえ」

悲しそうな顔で姉が弟を見る
その瞳には涙が浮かんでいる

「姉上に涙は似合いませんよ、あの頃のように、政治の、父上の片腕としておられた面影もない」

「言いぐさね、…それらは全て、シャロムに奪われました」

「それは、まさか」

「正式には、サンに…かもしれません、梅を見た日が懐かしい」

「実にくだらぬ話だ、父である私、4人の子供達、たった5人が、
我ら5人の情念が国の礎となるなどと」

「神話とは」

「くだらぬ、皇家の日記にすぎぬ、ずっとずっと続いてきた我らの血脈の歴史、
その実は、ただの家庭不和のそれこれでしかない」

「真実、と呼ぶのは語弊があります、事実だけを報せておきます、
私はサンに、父上はシャロムに、それぞれ負けたのです」

「父上が兄上に?それは」

「力が現れる前のことだ」

「兄上が、そんなことを」

「これは、全て予定調和だったのだ、私が冥府の皇となったが故、
全ての力が現出したとも考えられる」

父は静かに目を閉じた
いたわるように姉がよりそう、その傍らにじっと老人が立っている
まるで、一枚の絵のようだ

「さぁ、行くがよい、外はよく聞いたあの風景となっておる」

「神話の地獄ですか」

「そういうことだ」

「しかし、父上、私は気になることが一つ」

「さて?」

「神話にありました、全ての地上を支配したあと、最後の敵がやってくる、それはいかがでしょう」

神話のあらすじは、だいたいどこも決まっている
最初の大きな敵を倒し、平和を取り戻した後、それを脅かす最後の敵がやってくる
それは、必ず倒される運命にある
サワンは、それを誰とは言わないで、父と姉の表情を見た
だが、死人二人は同じ顔をして立っているだけだ、答えがないのを見て
サワンはその場を去る決心を固めた

「行って参ります、それでは」

「サワン…」

「なにか?」

声をかけたのは父だった
姉はただ、よりそっているだけだ、収まりの良い絵は
美しくて壊すことができない雰囲気を持っている

「武運を祈っておる」

「ありがたき幸せ、皇よ」

サワンは来た道を戻り始めた
四歩進んで、サクラとカブラの存在を確かに感じた
それまでは、この二人が居なかったように思う

「サワン殿下…よかった、よかったぁぅ」

ぎゅ、

「そうか、居なかったのは私のほうだったのか、すまない、サクラ、カブラ、
大丈夫だよ、さぁ行こう」

二人が心配をそのまま形にして示した、
幼いと呼ぶほどではない、暖かい二人の心がわかる
サワンは二人を強く抱き締めた、そこに在る、その確かなものをしっかりと掴む

『殿下』

「!…爺か?」

『忘れられることなく、貴方様は貴方様であります、兄皇様は兄皇様、
それぞれ別の者であり、まるで異なることを、ゆめゆめお忘れなきよう』

見守られているんだな
そんな風に理解した、言葉は何度も、何回も、繰り返し聞かされた台詞だ
忘れるわけがないし、それはもう、血肉となってしまっている
左手につと、爺に触れた感触を思い出した
闇を、確かに撃ったあの一撃、あの時、間違いなく爺に触れた
ゆっくりと手を一人握る、その感触もまた、忘れられぬ血肉となる

歩みを強く、暗闇から光へと向かう

巫女が祈っている

「サン」

「兄上、私はここに居ります」

「サン」

「兄上…」

「サン、もう、大丈夫だろうか、誰の声も聞かずにいられるだろうか」

兄様と呼ばない、
その神を見て、慈しむ人間の女
祈り姿のまま、後ろから抱きすくめられて
ただ、名前を呼び続けられる
それに、とても優しく答える
今日もそうしましょう、明日もそうしましょう、ずっとずっと、そうしていきましょう

千里眼が最大解放され、世界は一つになったかのような錯覚に陥った
全ての存念や、雑念といったものが、シャロムのそれに集約されて
争いと諍いと憎悪をいっしょくたにして、全部を制御した
一つになれなかった他者、それを赦せぬように仕向けて、
全ての雑念や憎悪や激情を一つに磨き上げた

ルールを作るというのは、子供の思いつきと同じものなのだろう
走れと命令し、走らなかった全てを駆逐して
とうとう争う相手さえいなくなれば、何もかもが治まっていくだろう
そんな短絡したことを思い
そのまま、衆愚と呼ばれる大多数の人間を支配下においた
彼らは、ただ、敵を探して歩みを進めていく

側仕えの貴族や、ウソツキや、一部の高等貴族は支配下にない、
実質、立場は隷属しているそれだが、彼らはまだ、自分たちの意志でもって
神の所業をこなす手伝いに走り回っている
結局は一緒だ、心酔してやってるのだから、より、性質が悪いとも言える
森のそちこちに潜む、他民族のそれをあぶりだし
教本どおりに取り囲んで、殲滅していく
その作業に没頭する

介入を受けたものもそうでないものも、ただ、皆が一つになって同じことをしていく
整えられた姿こそが、最も心地よく安定したそれだと、神は安堵のため息をつく

「理想の通りになりましたか?」

「まもなくだ、きっと、なるだろう、神話の通りに」

「そして、伝説の通りに」

巫女は唄うように続けた
神は、その歌に自分を思い出したようだ
姿が、ほんの少しだけ、戻ったように見える
巫女は目の前の兄を認める、神ではなく人間として、眼差しを向ける

「私を怨むか」

「…」

「神話をなぞらえて、親を殺した私を」

「私は姉上を殺しました、だから、一緒ですよ」

諦めた調子で巫女は言う
シャロムは、悲しそうな顔をする、冷たくて石のような顔つき

「全て、私が望んだものだ、お前をそんなにしてまでも」

「知っていますよ、兄上に利用されていたなんて、ずっと昔からそうだったもの」

「そうだ、父上、姉上、そして、サワン、これらを葬ることで、私は国を乗っ取ることができた、
それは、我ら皇族の過去が正しいと証明してきた方法だ」

「神話の通り、強い信念を持った、最も正しい新皇により治められるのですものね」

「私は争いを好まない、苦手なのだ、戦争手段に長ける必要を感じることができなかった」

「兄様は、お優しい人ですものね、争うことの無意味さを知っていたのですものね」

「だから、それらを得意とする全てを破壊したかった、そして、実際にそうなって」

巫女はそっと人間の男を抱いた
すすり泣く少年のような姿をしている
子供をあやすように、巫女はただ包み込む

「まもなくです、神話の終幕が始まります、その後でも十分です、お話は」

「そうだ、私が最も憎まねばならない、愛する弟を」

神は姿を取り戻した
巫女はその体を離した、解き放ったかのようにも見える
勇ましく、猛々しく、強く美しい
自信に満ちて、神々しくある
その無垢さは、まるで子供のそれに似ている、無敵だ

巫女はそれに向かって微笑みかける
涙が頬を濡らしている、神はそれに気付かない

大きな生き物が蠢くように
軍勢がうねり進んでいる
その頭目に、あの貴族とあのウソツキがいる

つづく

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(08/06/30)