K
目の前に豪奢な宗教画が描かれている
異形によって、人間達が翻弄される
そういう情景が、サワンの目の前に広がった
これは絵じゃない、現実か、そうだったか
この力が解放されて、どの程度時間が経過したのだろうか
それを不審に思ったが、
その力を欲しいままに行使するそれこれ、
されるがままに蹂躙されるそれこれ、
その二つを見て、もう一度地獄を描いた絵を思い出した、なるほど
あれは想像のそれではなく、本当のことだったのだと酷く納得できた
そして
「力は平等に与えられない、そんなルールは前のままか」
サワンは呟いて、
不貞を働く、そんな言葉では表せないような阿呆な様を見せる輩に対し、
手始めに、物の試しに、なんとなしに
軽い
自分の体をそう感じた、馬に乗り、戦術を常に考え、大局を見る目を欲しがって、
かつての戦闘風景を懐かしいと思うほどだった
個人の力が、圧倒的な説得力を持つなんて、その頃には思わなかった
だが、今、理不尽なほど強力なそれを自分は持ち合わせている
サワンは、子供が昆虫を殺すように、殺した昆虫を眺めるような
そういう、端から見ると残酷な、本人はただの興味本位という
絶望的な暴力に身をやっした
ズワンッ
同じ力を得たと思しき、人間の男性だった物体を吹き飛ばしてみた
多分、手で殴ったんだと思う
自分の意識が急速に曖昧となっていく
何をしているか、なんなのか、それを留めておける自信が今はない、
だから、自分がそこに居るためにも思ったことをそのままし続ける
目の前の男を殺す、そうするしか自分がここに居ると実感できない
殺すために私はここに居る
「神様…ああっ」
襲われていた女性は涙を流してサワンを見ていた
神々しい光をまとっている、辛うじて人の形にも見えるが
網膜に映るそれはあまりにも意味がない
これもまた、脳に直接打ち込まれたようなダイレクトな感触めいたもの
『目で見て、神経を伝い、脳で理解する』
そういう動作全てをないがしろにして、起きたことが目というフィルターではなく
生のまま脳に届けられている
あまりにも刺激が強すぎる
女は惚けたように
多分、理解に脳を焼いたのかもしれない、涙を流し喜色と呼べる表情を見せた
その女のことはそれで忘れた
今は目の前にいそしむ、焼き付くように全身が何かを欲している
早く動かなくては、何かをしなくては、そういう焦燥感が登ってくる
油断をすれば、どこまでが自分でどこからが自分でないかわからなくなる
「神とは不便だな」
呟いてから、目の前の不貞男を再度殴る
右腕を真っ直ぐに、ジャブめいた姿で殴る
だが、ジャブで終わらせず左でさらに距離を計って
もう一度右を足首から手首にかけて
全ての関節において攻撃力を増幅させて、全体重を乗せる
ゴゥン
くけ、人間が壊れる時は、どうもカエルの泣き声に似た音ばかりだ
そんなことを思いつつ、目の前の敵を叩きのめし終えた
ドザン、派手な音をたててその男が死んだのを理解する
間違いがない手応え、撲殺など今まで、一度もしたことが無かったが
手応えでわかるものなんだ、生々しい、まだその感覚を覚えている
「急がないといけないな」
死体の確認はした、もしかしたら蘇ってくるかも、そんな想像もあったが、
現実は死人に対しては厳しいらしい、死んでしまえば等しく死体でしかない
ともかく、自分の力を確認するには十分、そして、やらなくてはならないこともすぐ浮かんだ
この力が、一般のそれらにも及んでいるのならば、
早く、兵を指揮して暴動を抑えねばならない
「誰かおらぬかっ!!、爺っ!!!おらぬかっ!!!」
雄々しく吼えた、これは声でもあるし思念でもある
おそらく、相当広範囲に居る生き物の、言語を司る器官に対して
クサビを打ち込めただろう
皇位は関係なく、皇族が支配をしておかなくてはならない、
全ての民に秩序と平穏を与える、それが支配者の役目だ
今その秩序と平穏が乱されている
糺さなくてはならない
使命感をまとってから、自分に変化が起きたのに気付いた
もう無くなってしまう、見失う心配が晴れた
そんなことを感じた
どうと、説明するのは難しいが、足がしびれていても足があることを脳が理解している
しびれている部分に触って初めて、今、しびれていたのか
そう思えるくらい、自分の体のことを知覚というのか、見失っていない
さっきまでのはなんだったんだろうか
今は、それよりも
「!」
歩みを進めた、景色が拓けると町を見下ろせる
その町辻のあちこちで煙があがっている
まるで戦争に負けたような空気だ、今まで、数多の民族に対して
自分はこの景色を与えてきた
そんな記憶を揺り起こされた、胸がしめつけられるような気分
「サワン…殿下」
「おう、衛兵か、ちょうどよい隊を集めろ、すぐにあれらの鎮圧に…なんだ?」
残念そうな顔をしている
この顔、前にも見た
そう至って、その顔が自分をあの場所へと閉じこめた、その先鞭だったと思い出した
感情が渦巻く
「殿下っ!!殿下殿下っ!!!」
何をそんなに
思うのだが、自分の体と呼ぶのか、力だけが目の前の男に危害を及ぼそうとしている
慌ててそれをひっこめようと努力する、かなりの努力が必要だ
今しなくてはならないことに、とてつもなく従順な力、
目の前の男を憎いと少しばかり思った、だから殺しにかかったのだろう
あまりにも正直で性急すぎる
それを最優先だと判断したらしい、情緒に触れすぎるのか、欠陥じゃないか
思うのだが、その自由奔放さを失った人間こそがとも、全て傍らで思った泡沫だ
「…はぁ、す、すまん、まだ扱い方に馴れていなくてな…」
「殿下…」
「それよりも、早くあれの鎮圧に」
「その必要はございません」
「なんと?」
うずうず、また、自分の力がそちらに向かおうとしている
止めるのは厄介だが、なんとかコツを覚えてきた
ともかく目の前の話を聞かなくては…
「シャロム様が鎮圧に向かわれました、何一つ、貴方様が心配することなどっ!」
ブワッ
「無いんですよっ!!!!」
ズン、鈍い音が二つ通った
反射と呼んでいいのか、体は器用にその攻撃をやり過ごしていた
サワンは忙しく考えないといけない
何をか、目の前が、敵か味方かだ
「敵だな」
思った後に、笑い声が耳に届いた、いや、脳に届いたというのが適切だ
誰が笑ったのか、そうか、自分の力か、押さえつけていたこいつが、
解っていたのだ、一瞬の怒りなんていうナマモノに反応したんじゃなく、
根底から、目の前の物体が敵性であるということを判断していたのか
つ、た、
たたらを踏むような音だが、実際は軽いステップだ
サワンは、二歩で一度離れてから再び同じ位置へと戻した
衛兵はムカツク顔のまま、その姿に槍を撞きだしてきた
音、姿、何よりも気配か
察する全てから、目の前の男もまた、力を得たのだと思った
厄介な輩が力を持つものだな
「いつから、そんな風だ」
「世の中、よい風に変わったもんだよ」
「貴様、前に言い損ねたから今言っておく、貴様は人間としての尊厳が劣る」
「ははっ!!!」
笑ったまま、衛兵は聞いたふうもなく、槍を撞きだしてくる
素手でそれに立ち向かう、その行為が、不思議と怖くなかった
以前ならば、武器を持った敵にいかにして勝つかをつきつめて、
自分が丸裸なら逃げるしかない
そんな結論を持っていたのに、笑わせてくれる
「バカは、死なないと直らんか」
思うや否や、槍を曲げた
見ているだけで曲げられた、だんだんと、自分が力を使いこなしつつある
いや、それが自分であると理解しつつあるのがわかった
衛兵は驚いた様子で、自分が撞きだした槍によって臓腑を突き破られている
一瞬の出来事だ、打ち合うようなレベルじゃない
撞きだした槍が見えない壁に当たり、勢いを殺さないまま戻ってきたのだ
「バ…ッ!!そ、そんな」
「お前の限界だな、人間であった頃の延長でしか、力を計れなかった、
足が速い、腕っ節が強い、そんな他愛のない力ではない、これは」
うろり、衛兵は信じられないという目つきでサワンを見上げた
両膝をついて、既に死を目前とした男
絶望した人間が浮かべる瞳の色はいつもこれだ
ぐるぐると渦巻いて、どろどろと濁っていく
雄々しく死ぬ人間の真反対の濁り方だ
「己の不幸を呪え不敬の輩」
「悪魔が…」
「ほう?」
「全てはサン様のおっしゃられる通り、貴様は悪魔の力を、今の
この混乱は、貴様が起こしたのだろう…、貴様など、シャロム様に…」
男は、息絶えた
☆
火煙は一瞬にして静まっていった
それが舞い降りると嘘のように火は絶えて、煙も消えた
降臨したそれを見て、逃げまどう人々は神と讃えた
それは、よく見知ったそれであり、
自分たちが今まで崇めていた神と、その系譜の長にあたるものだから、
なおのことなんだろう
「シャロム様!!」
「隊、進め」
民衆の声を受けて、それに愛想をふる間もなく
軍団を指揮して、町の、騒動の、世の中の平定に乗り出していた
シャロムにも、サワンと同じ力が降りていた
それは、もしかすると違う力なのかもしれないが、人間という小さな枠組みからは
その違いは理解できない、大きすぎる、高い木は下から眺めても大きさがよくわからない
ずっと聞かされていた、伝説のそれに相違なかった
従える軍団には、同じく力を持つ将軍達が居並び
力を持たない武人達を引き連れていく
その差は、もう、今までの尺度の曖昧さとはかけ離れて、
将軍は、レベルが違うと言うに相違ないことだった
蓋を開けてみれば
そう言うと賤しい話だが、力が宿った後に解ったことだ
生粋の、騎士、貴族には等しくその力が宿った
だが、民間より賤しくも登った輩には決して降りてこなかった
これが再編をたやすくさせた
それまで、サワンによってなんとか束ねられていた武力は、シャロムという
強烈なシンボルの下に、実力毎と言っても相違ないそれで配置された
しかも血族という信仰に裏付けされたそれでだ
「鎮圧は目の前です」
「解った、再度、私が全てを見る、その後撤退だ」
「了解いたしました」
『全てを見る』
この言葉が、本当に言葉の通り全てを見渡すことだと、
受け付けた兵士は理解できている
この力の解放は二段階を経ている
最初に異変が起きた時、このシャロムと将軍達に力が備わった
その後に起きた異変にて、サワンにもその力が降りた、
サワンが指に傷をいれたあの時だ
そのタイムラグが、力に対する接し方というか、
力を現実に差し向ける、そんなことに対して大きな隔たりを作っていた
兄シャロムのほうが、早く力に馴れた
今、シャロムの頭には国を保つ
それしか無い
事件がいくつも起きている、前皇と呼べばいいのか、
現皇と呼んだほうが差し支えない、彼の、彼らの父が死んだのだ
この異変のせいだと思われる、唐突に指導者を失った
そのうえで、この大混乱だ
国という体系を保つためには、様々なことを急がなくてはならない
己の為ではない、衆愚、集団という一種の無能を率いるためには
絶対に必要なのだ
シャロムはそう信じている、千里眼を開く、街を民を見渡す目を開く
☆
サワンは急いだ、どこ、と言うと難しいが
足はそれを理解しているように歩みを進めていた
離れの塔
「姉上」
思い出したのはそれだった、もっと、もっと大切なことを欠落しているが
それには気付かないで、ただ、不安というのか、
しないといけないと判断した、塔を登る
見張りの兵には暫く寝ていて貰っている
「やはり、誰かが」
幽閉の部屋前までやってきた
かつてここは、姉上の部屋であった、
だが、今、扉に鎖がかけられ、どうしようもなくなっている
閉じこめられているのだ
間違いがない、どうしてこんなことに
「アテル姉っ!」
言うと、鎖をいともたやすく砕いた
ガシャン、鉄の織りなす鋭く尖った音を響かせて
それは石畳の上に散らばった
サワンは扉に手をかける、がちり、少し押すと簡単にそれは開く
「!」
「兄様」
瀟洒な部屋だ
前に入ったのは何時だったろうか、
ふと、自分はここに入るには血に穢れすぎている
そんな恥ずかしさを覚えた
だが、その感慨のようなものは、現実にそぐわない
目の前に座る、妹の姿に注意を払わなくてはならない
「サン」
「…」
「姉上をどうした?」
力が増幅する、ぐるり、自分のどこからかわからないが溢れてくる
柔らかくてもちもちとした感触、透明でべたつきはないけども
温かいものが、多分力の姿だ
それが、とぐろを巻くように、サワンの体にまとわりつく
「姉様はここにはおられません」
「どこに閉じこめた」
ぱち、音がするような瞬き
目の前の巫女は驚いた様子で兄を見ている
「どうしてそれを」
その言葉が、抑えていた感情を発露させる引き金になった
サワンが、己の力を解放する、それを巫女に向ける
殺すわけじゃない、この状態を打破し
圧倒的な優位に立つためだ
「!!!!!!!!!!!」
「兄様、残念です」
りぃん、『静寂の鈴』
そう呼ばれる神器があると聞いていた
それなのか、巫女だから、持っているのは当然なのか
いや、それよりも
「ば、なっ!!!!」
「当然です、これは魔が払いの神器、兄様は…」
ふと、妹の瞳が涙に濡れているのに気付いた
随分と久しぶりに見た
涙をではない、顔をだ
妹の顔を随分と久しぶりに見た、記憶にあるどの表情からも遠い
哀しそうな笑顔
「サン…っ」
「兄様っ!!!」
「すまんな、私は姉上を助けねばならぬ」
油断をついた、
そういう卑怯と罵られる方法をサワンはとった
一瞬、ほんの、きわめて僅かな時間、
妹は自失していた、その涙のせいで視界が曇っていただろう
その間隙をついた、音に縛られていたが強引に振り払い
足下を撃ち抜いた、そこからこぼれ落ちるように脱出をする
「そうかも、しれぬ」
悪魔なのかもしれない、
その悲しみに自分の力が、不思議と黒みを帯びたようにも見えた
重力に任せて落ちる
不思議と怖いという感覚が無くなっている
そういう、事故めいたものに対しての恐怖がない、でも
「巫女は、恐ろしい」
すた、地面に音が吸い込まれるように
綺麗な着地となった、ぱらぱら、木材が落ちてきた音
遠くから、いくつか足音が近づいてくるのもわかる
長居はできない
お前は裏切られたのだ、言っただろう
「誰だ、力か?」
さて、お前と契約をしたものだ、お前は裏切られたと思ったから俺と契約をしたのだ
「異教か」
なんとでもいえ、ともかくだ、今は同胞と合流しなくてはなるまい
急ぎそこから逃げろ、お前のように思い上がったヤツにはちょうどいい、
逃げるという屈辱を浴びて、生まれ変われ
「簡単に言ってくれるな」
囲まれつつある、いい指揮官がついているな
包囲に対する統率が並大抵のそれではない
いや、指揮官が「能力者」ということか
サワンは、つと、考える
自分の位置を把握しながら、人数をかけてくる
「解っているのか、本体はまだ人間だってこと」
殺すことが出来る対象だ
そういう知識があるからだろう、隊伍を組めば勝てる
確かに圧倒的な力だが、使うものがまだ一人でしかない、
おそらく神と呼ばれる一柱であれば、そんな心配もなかろうが
まだ、脳を使っている感じがある
この人間である限界が残っている限り、油断はできまい
「!…爺かっ!!!」
ふと、その隊伍が乱れた、最も弱い場所が破られた
そういうイメージと呼ぶのか、頭に浮かんだ
浮かぶやいなや、そちらへと駆ける
翼があるわけじゃない、己の足で走っている
だが、蹴れば蹴るほど、速度は凄まじい勢いで上がっていく
「爺!!!」
「サワン様っ!!!」
「逃げるぞ」
「なんと…」
爺は心底残念そうな顔をして見せた
足下には、彼が倒したのであろう若い兵士が何人もうずくまっている
「殿下ともあろう者がそのような弱腰」
「ならば?」
「これは戦略転換と称するのでございます」
ふかぶかと頭を垂れた
その言いぐさと、その触れあい方が
かつてと一緒だ
そこに、涙を浮かべるほどの感激を産む
だが、頭を垂れる爺を見て、哀しいことにも気付いた
「爺には、宿らなんだか」
「はは、申しました通り、代々ただの爺でございますからな」
「よいのだ、進もう、また、従え」
「仰せのままに」
爺の連れてきた手勢を引き連れる、少数だが
その場を脱するには怪しまれない
そんな人数だった
(08/02/18)