郡上一揆(郡上藩宝暦騒動)年表(その7) (郡上一揆の会)

1758(宝暦8)年                     郡上一揆の会へ

     9月21日   本田長門守尋問(のち、領地没収、永く預け)
   10月 9日   歩岐島村四郎左衛門らを尋問
      12日   那比村藤吉らを尋問

幕府役人に判決下る


  10月28日から29日
      幕府関係の判決下る
      元老中   本田伯耆守正珍(まさよし) 御役御免 逼塞
      元寺社奉行 本田長門守忠央       領地召上 改易(家禄没収)
      元勘定奉行 曲淵豊後守         御役御免 閉門(自宅に監禁)
         同   大橋近江守         永預
      元美濃郡代 青木次郎九郎        御役御免 逼塞
    
農民一揆に関連して、老中以下の幕府の役人が大量に処罰された例は、
    郡上一揆以外にない。

   
  11月 3日 駕籠訴人・箱訴人等の厳しい吟味が行われ、頭取が明らかにされる。
           この吟味中に那比村藤吉・市島村孫兵衛は病気のため牢に帰された。
  12月11日 詮議掛の菅沼下野守が、連日の激務のため倒れる
           (判決前日の24日に死去)

金森家、お家断絶!
            
  
  
 12月25日 郡上関係の判決下る
      金森藩関係
     元藩主   金森出雲守頼錦   領地召上 南部藩(岩手県)に永預け
                     改易
     元家老   渡辺外記      遠島(島流し) 但し病死
            同    粥川仁兵衛     八丈島へ遠島
           元寺社奉行 根尾甚左衛門    死罪 但し病死
           元寺社下役 片重半助      死罪 但し病死
           他

 
農民の死罪14名!           
     前谷村・定次郎   (31歳)    死罪 郡上にて獄門(さらし首)       
駕籠訴人
     切立村・喜四郎   (37歳)     同   同  但し病死のため獄門されず
駕籠訴人
     那比村・藤吉    (37歳)     同                        
駕籠訴人
     東気良村・善右衛門(45歳)     同                        
駕籠訴人
               同  長助   (63歳)       同             
駕籠訴人
             歩岐島村治右衛門(55歳)        同             
箱訴人
             二日町村伝兵衛 (42歳)        同              

             剣村藤治郎    (35歳)       同              
             市島村孫兵衛   (42歳)       同              
             東俣村太郎右衛門(40歳)       同              
             向鷲見村吉右衛門(36歳)       同              
             歩岐島村四郎左衛門(39歳)     同  郡上にて獄門   
帳元
             寒水村由蔵    (39歳)       同   同        
責任者
               以上死罪14人、牢死19人、重追放その他約100人

              その他
             講釈師 馬場文耕は
死罪獄門  江戸で農民の立場から郡上一揆を講釈

    
12月26日  死罪を申し付けられた農民及び馬場文耕が処刑される。


      次(年表 その8・完)へ続く