郡上一揆(郡上藩宝暦騒動)年表(その6) (郡上一揆の会)
1758(宝暦8)年 郡上一揆の会へ
7月20日 幕府老中酒井左衛門尉が、寺社奉行阿部伊予守らに駕籠訴の際の
裁判のやり直しを命ずる。 吟味のため幕府に評定所が開設される。
阿部寺社奉行以下4人が、詮議御用掛に専任される。
江戸時代、約3300件もの農民一揆の中で、幕府が詮議掛を専任した
のは郡上一揆だけである。
郡上一揆の裁判文書は、全国一揆関係の大部分を占め、赤穂浪士事件
に次ぐ量という。
やり直し裁判始まる!
21日 裁判が始まる(年末までほとんど毎日、夜遅くまで続く)
江戸へ呼び出された農民は約300人。
8月26日 行方不明で尋ね人となっていた駕籠訴人・前谷村定次郎と切立村喜四郎が、
依田和泉守留守宅へ自首、入牢。
この頃、田沼意次(おきつぐ)、詮議掛として詮議に参加。
「徹底的に調べよ」と指示する。
金森頼錦への尋問始まる
8月27日 幕府詮議掛が江戸城中で、金森頼錦への尋問を始める。
9月 2日 金森に利を図った老中・本田伯耆守、御役御免、逼塞(ひっそく・
門を閉ざして白昼の出入りを禁ぜられる)
3日 大目付・曲淵豊後守、身柄預け(後、御役御免、閉門)
同日 金森藩家老粥川仁兵衛尋問(後、八丈島に遠島)
同日 前谷村定次郎・切立村喜四郎ら尋問
同日 大橋近江守尋問(後、長く預け)
10日 金森頼錦、金森邸で3回目の尋問。
12日 駕籠訴人那比藤吉・東気良村善右衛門・同村長助尋問の上、入牢。
14日 田沼意次が初めて評定所へ出席、幕府・藩役人を尋問。
同日 郡内庄屋30人を尋問。
同日 歩岐島乱闘の手負い人35人が江戸へ出立。
16日 一揆を講談にして幕府を批判した講釈師・馬場文耕が逮捕される。
次(年表 その7)へ続く