4 赤谷山  そして今の八幡・赤谷山に新しい城を築きました。天文(てんぶん)10年(1541年)のことでした。 赤谷山は非常に険しく守るのも攻めるのもたいへんに困難な山でありました。 しかし、この山には、すでに東常縁の父・益之によって「とりで」が築かれた跡が残っており、常慶はとても助かったのでした。(つづく)
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赤谷山
《のち東殿山》