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「プロローグ」
1 プロローグ 美濃の国を流れる長良川の上流に山田の庄というところがありました。 1221年

承久(じょうきゅう)3年)天皇方と鎌倉幕府との争いであった承久の乱の後、幕府の御家人東胤行(とうのたねゆき)

鎌倉幕府に対する忠勤の褒美として、この山田の庄を与えられました。
 胤行(たねゆき)は房総半島の雄・千葉常

胤の子孫(ひ孫)で、和歌の家柄でもありました。 小倉百人一首を選定したり新
古今(こきん)和歌集の撰者を

務めた鎌倉時代切っての和歌の家の
大家(たいか)・有名な藤原定家(ていか)の弟子であり、時の鎌倉将軍・源実朝(

さねとも
)
の学友でもありました。

その上、
胤行(たねゆき)の妻は藤原定家の孫娘であったと伝えられています。(つづく)