京都、花園、妙心寺内「大通院」
ここに山内一豊さんと千代(見性院)さんの夫婦墓があります。
ところが、案内板には不思議なことに一豊さんの奥さんの「千代」さんの名はなく、「マツ」さんとなっているのです。
(この写真は昭和54年(1979)1月10日に父・私・弟が祖母の納骨の折り、立ち寄り撮ったもの)
消えた一豊さんの奥さん(※山内豊秋氏のお気持)へ
山内一豊公
仝 マツ公室
慶長十年九月薨去
元和三年十二月薨去
←向って左が「千代(見性院)さん」、
右が「一豊さん」の卵塔のお墓です。
大通院
開基夫妻御廟
旧土佐国藩主
この廟屋は今より375年前の建築であるが。その様式は桃山時代のそれであって稀に見る特異の建造物に属し両夫妻とも僧形のまま石棺の中に埋葬されたと伝えられる。
(上記の途中省略部分。昭和35年(1960)より375年前は1585年(天正13年)、一人娘・与祢姫を11月長浜大地震で失った年に当たります。)
昭和三十七年七月
院主敬白
途中
は略
大通院の正門。入り口の左上に銘板が懸かる。
大通院内の御廟屋