郡上からは「大和町史」編集委員会の皆様と、私も含めて飛行機で土佐高知へ行き、丸山和雄先生のご案内で、この貴重な資料を確認いたしました。興奮の連続でした。 
 この遠藤三作のご子孫が生存されていました。高知空港のある安芸市に住まわれていた、遠藤春海さんです。
 丸山和雄教授が電話帳の“遠藤”さんに、片っ端から電話をかけて見つかったんです。
 郡上人として、ただただ感謝の念あるのみ。

 厚みが15センチメートルぐらいもある分厚い系図帖でこれが70冊ほど。記号のエテアは、イロハ順ですね。(とすると17冊?)いや、殿様の代替わり事に提出なら、70冊なんでしょう。

写真撮影(丸山和雄高知女子大学名誉教授と共に高知県立図書館で)

   「御侍中先祖系図帖」 高知県立図書館蔵
郡上の遠藤氏(遠藤亮胤=遠藤慶胤末子の三十郎)子孫・遠藤三作差出系図へ

 遠藤三十郎は、見性院(山内一豊夫人)の甥で、見性院の死後(元和3年=1617年12月)の翌月、江戸にて土佐藩に由緒をもって召し抱えられます。
明らかに見性院の遺言によるものです。

山内一豊夫人顕彰会へ