郡上からは「大和町史」編集委員会の皆様と、私も含めて飛行機で土佐高知へ行き、丸山和雄先生のご案内で、この貴重な資料を確認いたしました。興奮の連続でした。
この遠藤三作のご子孫が生存されていました。高知空港のある安芸市に住まわれていた、遠藤春海さんです。
丸山和雄教授が電話帳の“遠藤”さんに、片っ端から電話をかけて見つかったんです。
郡上人として、ただただ感謝の念あるのみ。
写真撮影(丸山和雄高知女子大学名誉教授と共に高知県立図書館で)
遠藤三十郎は、見性院(山内一豊夫人)の甥で、見性院の死後(元和3年=1617年12月)の翌月、江戸にて土佐藩に由緒をもって召し抱えられます。
明らかに見性院の遺言によるものです。