3月定例議会一般質問(川上朝史議員)
4.八幡城裏の歴史的山道の整備について
八幡城の石垣の石を切り出した「石切り場」(上ヶ洞)へ通ずる“車坂(くるまざか)”の山道の整備を。
(「車坂」の“史跡”としての保存を願う)
よく旅に出た帰りに郡上八幡が近づきバスの眼下に美しい八幡城が見えたときは本当に「ああ、八幡ってええなー、いい町へかえって来たなー」といつも思っている一人なのですが、その、八幡城のある八幡山に今のような石垣を組んで立派なお城としたのが3代目八幡城主の稲葉貞通であります。八幡城は今を去る410数年前に3代目城主・稲葉貞通の12年間の在任中に本格的な城郭造りが行われ、現在県の史跡指定を受けているのはこの時の石垣であります。ところで、今お城山から上ヶ洞奥にあたって八幡城を築城したときにその石垣の石を切り出して運んだ「石切り場」があります。この石切り場への道である車坂と呼ばれる道があるのですが、昨年1月の豪雪による倒木でふさがったままになっております。城作りに長けた稲葉貞通が、この石垣を作るときに上ヶ洞奥の石切り場で石を切り出し、今ふさがっている車坂一帯の比較的なだらかなあの山道を多くの馬や人を使って運んで今の八幡城のあの石垣を築いたのです。この道の途中から八坂神社にいたるちょっと急でえらいハイキングコースや小野の郡上高校へ抜ける道も作られています。10日ほど前、文化財保護協会の人たちによって、上ヶ洞地下歩道橋の側の森柏さんの畑に石切り場跡の標柱が立ちました。この歴史的にいわれのある石切り場への道を今少しでも整備しておかないともうその道がなくなってしまう恐れがあります。先日の全員協議会のとき、八幡町の所有する町有林の説明がありましたが、その中に車坂(6.91ha)がありましたので大変驚いたのですが、この道も含まれていますか。含まれていれば文化財保護協会の人たちや地元の上が洞の人たちと協力するなどして道を通れるように整備出来ないでしょうか。途中に出合った地元の方は、以前に地元から役場へ話したとも言われましたがそのままになっているといわれました。小型のパワーショベルなどレンタルで借りれば手伝うとも言う方も見えます。この点についてできそうな事があるかどうか伺います。
○議長(細川孝弥君) 井口 総務管理課長。
○総務管理課長(井口利厚君)