30●小牧・長久手戦の陣立(一豊・慶隆軍団)   

家と家の間柄についてお話したついでに「大日本史料」の中から、小牧・長久手の合戦の折の陣立の事を参考にお話します。これは、秀吉と家康の戦いですが、天正12年(1584年)8月19日の条に「太閤様御人数立」の中に次のような一団が記されている。これは小牧の北の楽田あたりの左翼陣第二番手で「日根野備中守殿、同常陸介殿千五百・佐藤六左衛門殿四百・遠藤大隈守殿(木越遠藤)・同左馬助殿六百(遠藤慶隆)・山内伊右衛門尉七百(山内一豊)」とあります。日根野、佐藤、山内は全部遠藤家と婚姻関係を結んでいる親類同士であります。するとこの第2陣は、遠藤の親類軍団ということになります。日本の古城研究をしておられ、郡上の中世以後の城跡を全部見ていただいた林春樹先生も、戦国時代などは特に血縁のあるものを一団として陣立てをしている例が多いと話しておられます。その方が安心度が高いですからね。これも遠藤氏と山内氏の関係を知る上で参考になる例でありますね。


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