教如上人住居跡(郡上市明宝)2004.11.4(川上朝史撮影)
天正8年、大坂石山合戦後、信長から逃れた教如がここで隠棲。山上源太夫と名のり八代八衛門が世話。「鷺森旧事記」による。◎その前、教如は美並村苅安の乗性寺へ寄り、見性院(千代)の母友順に得度させている。東家以来の付人・埴生太郎左衛門にも「西教坊照山」とさせ乗性寺17世となる。
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教如が使ったと伝えられる手水鉢
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