訪ね
孕石元政聞書
に初めての資料がありました。
主人相婿也」
云
々とあり、安東伊賀守(北方殿婿郷氏?)
寒さの侯御健勝のことと存じます。本日、市民図書館を
について御知せ頂ければ幸甚です。この記事は山内家史にも
故丸山和雄先生のはがき 1983年(昭和58)12月
混同していますが、慶隆が天正五年(一豊、播磨にて七百石
云々とあり、安東伊賀守(北方殿婿郷氏?)と遠藤慶隆を
寒さの侯御健勝のことと存じます。本日、市民図書館を訪ね
ついで二千石を受く)信長の命で一豊の寄騎(与力)となった
事が明らかです。一豊三十三才。なお遠藤近江といふ人
一 一豊公大閤へ出仕されて、御知行四百石、播磨にて二千石
尾張ガクデン(楽田)にて四千石、外に与力三人。五千貫
斉藤六左エ門、四千貫遠藤近江、三千貫遠藤但馬。
此の但馬は遠藤安右衛門伯父にて、北方殿婿、深尾
主水相婿也
「孕石元政聞書」に初めての資料がありました。
なく全く初見のものですので取急ぎ御知せ申上げます。匆々
斉藤六左エ門、
四千貫
遠藤近江、
三千貫遠藤但馬。
此の但馬は遠藤安右衛門伯父にて、北方殿婿、深尾
と遠藤慶隆を混同していますが、慶隆が天正五年
一豊
なく全く初見のものですので取急ぎ御知せ申上げます。匆
々
人について御知せ頂けば幸甚です。
この記事は山内家史にも
ハリマにて七百石、ついで二千石を受く
信長の命で一豊の寄騎
故丸山和雄先生のはがき
一九八三年十二月
となった事が明かです。
一豊三十三才。なお遠藤近江といふ
尾張ガクデン(楽田)にて四千石、外に与力三人。
五千貫
一豊公
大閤へ出仕されて、御知行四百石、播磨にて二千石