千代の従兄・遠藤大隈守(おおすみのかみ)(遠藤胤基)系図
↓ 山内伊右衛門(=一豊)と三番手
天正13年(1585)7月、
越中(富山県)佐々成政攻め羽柴秀吉の陣立
山内一豊夫人顕彰会へ
遠藤大隈守の父・遠藤胤縁(たねより)は、千代の父・遠藤盛数の兄です。郡上遠藤家の本家ですが、胤縁が東常尭(とうのつねたか)に殺されたため、弟の遠藤盛数(千代の父)が郡上を統一します。
盛数は本家を立てて、以後は両遠藤の時代が続くのです。
 この陣立てでも本家の遠藤大隈守が200名、分家の
遠藤左馬助(千代の兄・慶隆)200名となっています。 ※大隅地方は今の鹿児島県。屋久島も大隅諸島。
新たに見つかった小牧長久手戦陣備表!
佐藤六左衛門(美濃市)は郡上の南隣で、千代の兄・遠藤左馬助慶隆の弟・慶胤の嫁はその姉妹と結婚しています。遠藤家はお隣の佐藤家にもちゃんと手を打っています。
長浜城歴史博物館蔵 「羽柴秀吉陣立て朱印状」
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千代の夫
千代の兄
千代の従兄
千代兄嫁の兄弟
ライバル堀尾茂助