どんなにお金をため資産を増やしたところで、
これで十分だということは無いらしい。
出来れば、もっと増やしたいと、誰もが願っている。
だから増やすことでは本人も満足感は得られない。
そういう意味で、「富」はというのは本人が満足したところに
あるという指摘は十分な説得力を持っている。
『韓非子』にこんな話が載っています。
あるときに、斉の国の桓公という王様が宰相の管仲に向かって、
「富には限界があるものだろうか?」
とたずねたところ、こんな答えが返ってきました。
「水の限界はなくなるところ、富の限界は、それの満足するところにあります。
しかし、人間は満足することを知らず、ついに身を滅ぼしてしまいます。
あるいは、これが限界かもしれません。」
「富」の追求もいいが、それによって身を滅ぼしたり、
人間関係を壊すようなことは避けてほしいものです。
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