吉益東洞は、37歳のときに大志を抱いて京にのぼりました。
そこで古医方を唱えますが、医業では生計がたたず人形づくりをしておりました。
(昔は健康保険なんて物はないですから、腕が勝負の時代だったのですね。)
44歳のときに、人形の卸問屋のおばあさんが、傷寒(急性熱性病)にかかっていると聞き、
一度是非に診察をさせてほしいと申し出ます。
ついでに、処方された薬を見せてもらい「大病だか処方も合っているし快復するだろう。
ただこの薬からは石膏は除いたほうがよい」と言って帰ったそうです。
実は、このおばあさんを診察していたのは、
当時、京でもっとも高名な禁裏附御医の山脇東洋先生だったのです。
東洋先生が、再び診察に来て調剤にかかったが、しばらく何やら試案をしていると、
おばあさんの家の者が、「実はこういう話がありました。」と先の東洞の意見を述べると、
東洋先生も実は石膏をぬくか迷っていたのだといいました。
この一件で、東洞は東洋先生に認められて、大きく飛躍するきっかけとなったそうです。
(人の縁とは不思議なものですね。)
東洋先生は、東洞のために人形屋を診療所にして、同世代の名も無き東洞を引き立てたのです。
以上は、日本漢方史の有名な美談です。
ちなみに吉益東洞が書いた「薬徴」という漢方書籍は「石膏」から始まっています。
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