第10話 1/8 『因縁のプレイステーション』

今回はスーパーファミコン版のCD−ROMが発売されなかった事情について検証してみます。

1992年のことでした。当時PCエンジンのDUOシリーズによるCD−ROMの成功、セガのメガCDによるCD−ROMへの参入により、着実にメディアが定着しつつありました。
その最中、任天堂もこの市場へ参入するため、1月9日に発売する意向をマスコミにアナウンスしました。ユーザーはついに大容量化の時代がやってくることに期待をしました。
スペック内容はNEC、セガ両社のスペックを考慮し、性能の良いものを用意する気でいたようです(※参考:スーファミCD−ROMスペック表)。そして共同開発企業として、ソニーを選択しました。

開発自体は順調に行っていたようです、たまに経過も聞こえてきましたし。しかし表面上は順調ではありましたが、内部ではかなり悶着があったようです。それは提携先のソニーによって。
当初の予定では、共同開発を行う代償として、ソニーからも今回開発中のCD−ROM内臓のハードのライセンスの許諾をしました。しかしソニー側では、このハードを利用し、自社オリジナルの規格を作って商品にしようと企んでいたのです。スーファミも遊べる、ソニーのオリジナルハードといういことです。
自社ハードの無断(?)利用&スーファミの規格分化に当然任天堂は激怒し、どのように収拾をつけるかでもめたようです。そして両社は決別という形で今回の話は無かったことになりました。

その後任天堂は別のメーカーと提携し、開発を再開しました。しかし時は既に次世代ハード戦争に突入しようかという時期で、数ヶ月後にはCD−ROM構想を半ば切り捨て、ニンテンドウ64の開発にいそしむのでした。当時「CD−ROMは読みこみ時間がクリア出来なければどうしようもない」という理由をつけて開発中止をアナウンスしましたが、事情を知る人間はそんな単純なことではなかったとを知っていました。
一方ソニーは任天堂と技術提携した経験を元に、自社オリジナルハードを開発。「プレイステーション」として市場に参入しました。奇しくもソニー版スーファミのコードネーム「プレイステーション」と同一名で。

その後のソニーの躍進たるや、皆さんも御存知でしょう。プレステのノウハウの裏には、CD−ROMで共に羽ばたこうとした任天堂の技術があったのです。