今回はファミリーコンピュータの拡張システムとして登場した、ディスクシステムの功罪について検証してみます。
そもそもの事の始まりは、ファミコンが売れに売れまくったことでした。そう、スーパーマリオブラザーズ(任天堂)という名作により、ね。
この余波は世界的に半導体不足を招き、ファミコンカセットは高騰していきました。これは前回でもちょっと触れましたね。この半導体不足の問題を解消し、載せられるプログラム容量の少なさをカバーする為、ディスクシステムは発売されました。
拡張周辺機器ということで普及率はそんなに大きくなかったですが、子どもたちには憧れの的でした。ファミコンユーザーの4人に1人持っているかどうかというような状況でしょうか。
もちろん数多くの名作も排出しています。ゼルダシリーズ、任天堂アドベンチャーシリーズ、神宮寺三郎シリーズ、ディープダンジョンシリーズ、悪魔城ドラキュラシリーズ、SDガンダムシリーズ・・・、挙げたらキリが無いですね。
このディスクシステムの登場により、開発コストが大幅に下がりました。簡単に製造できるので、ROMカートリッジよりもディスクの方が圧倒的に単価が違うのは現在に至っても同じですね。それにより、新品でも3000円前後で発売をすることが出来ました。
さらに、使用出来る容量も各段に増えました。ROMカートリッジでは考えられない容量をいとも簡単に確保でき、なおかつ安いというのは開発者には大きな魅力でした。
そして大きな目玉となったのは書き換えシステムでしょう。店頭にある専用ディスクライター機で上書きするだけで、新しいソフトがたったの500円で遊べるようになったのです。
他にもセーブしたデータを店頭の専用機械に持ち込み、その記録を電話回線を使って任天堂で集計して、全国規模でのスコア争いを行ったことも印象的な出来事でした。ただし集計機はディスクライターよりも普及率は低く、地方ではデータの持ちこみに苦労していたようです。
しかしいつかはかげりというものがやってくるのです。その原因は、この販売システム自体であったと言えるかもしれません。
まず第1に普及率の伸び悩みが挙げられます。周辺機器+高価だったので、親への受けが良くなく、購入してもらえるような子どもが少なかったのです。本体だけで遊べるのに、これ以上買わなくてはならないのは辛いものがありますものね。ツインファミコンも発売されるも、こちらも出荷数はいまいちだったのではないでしょうか。
第2にROM容量の増大があります。2〜3年も経つと、扱える容量がディスクよりも大きくなってしまいました。この時点で、アクセススピードが劣るディスクの優位性は少なくなりました。
第3にディスクの構造についても挙げられます。今現在のフロッピーには磁気面を保護する為、金属製のシャッターがつけられています。しかし当時は5インチのフロッピーの影響もあってか、磁気面を保護する為のシャッターが取り付けられていませんでした。おかげで、読み書きの出来なくなったディスクが続出し、信頼性が低下の一途をたどりました。
第4に書き換えシステム自体を挙げられます。新作・旧作の区別無く500円で書き換えが出きるので、メーカー側にとっては発売しても利益は微々たるものでした。これは致命的でした。メディア自体の普及によって、それは顕著に現れることとなります。それよりは多少高くとも利益の出易いROMカートリッジに開発が移行するのも当然といえるでしょう。
1992年12月22日、書き換え専用ソフトの「じゃんけんディスク城」(徳間書店インターメディア)を最期にディスクシステムはその役目を終えました。現在はメディアの特性上、生き残りは少ないですが、細々と活躍しているようです。現在でも任天堂のサービスセンターで書き換えサービスも行っていますしね(1999年12月6日現在)。
この経験を活かし、コンビニのローソンでスーパーファミコンとゲームボーイソフトの書き換えサービスも行っています。これこそディスクシステムがあったからこそでしょう。
ただし普及の失敗による後遺症は大きく、その後においてROMカートリッジ以外のメディアの配信について、過剰に神経質になっています。スーファミのCD−ROM発売無期延期、64DDの延期による延期の末の発売。任天堂にROMカートリッジの呪縛を与えたディスクシステム。はたしてこれが正解だったのか、誤りだったのか。その答えはいずれ時が経てば出てくることでしょう。