第5話 9/1 『ファミコン、よりどりみどり』

今回は、ファミコンソフトの形についてのお話です。

ファミコンソフトを購入していると、会社によっていろんな形で出ているのって多分御存知だと思います。アイレムの発光ダイオード付き白カセット、コナミの穴明き黒カセット、タイトーの硬そうな黒カセット、ジャレコやバンダイの形統一・色多数と、まあ大きな所ではこの5つですね。
では、なんでこんな特殊な形状のカセットがわずか数社だけ存在していたのかということが、今回のお話です。

まずは基本知識として、任天堂のカートリッジ製造方法を簡単に紹介します。
ファミコンソフトの製造は、基本的に任天堂側がすべて行っていました。メーカーからゲームの入ったマスター基盤を受け取り、注文数分だけ作って任天堂から買い上げるというシステムを敷いていました。俗に言う「任天堂商法」というやつです。
このシステムの特徴というのは、買取方式ということで、製造費はメーカーの負担になることでした。1本作るのに2〜3千円は取るということです。つまり、10万本の製造依頼があるだけで、20億〜30億円は売上として入ってくるというなんともおいしい話しです。
このやり方で当時は任天堂は潤ってましたし、随分と叩かれもしたものです。

本題に入ります。そう、時代はサードパーティー参入時の1987年までさかのぼります。当時はサードパーティーの参入特典として、自社でカートリッジの製造を許されていました。
この意味は非常に大きく、自社ラインで作れるので、生産コストはかなり押さえることが出来ました。ナムコが回りのメーカーが軒並み値上げしている中で4千円未満で販売できていたのも、このおかげによるものでもあります。
こうして特別扱いを受けた数社は、自分達の作品を主張するべく、独特のデザインで販売してきました。特殊形状カートリッジの誕生です。他のメーカーに比べ、優位性はかなりものもでした。

しかしファミコン全盛期以降の頃、任天堂側から突如方針の変更が打ち出されました。「今後は他のメーカーと差別無いように、おたくの所も自社製造ではなく任天堂に委託する方式に変えて欲しい」という主旨でした。
ほとんどのメーカーは仕方無しにその話しを受け入れました。しかし、ナムコだけはその方式に反発したのです。
自社製造にこだわるナムコは、任天堂の許諾無しに販売を行おうとあちこちに営業を行いました。だがしかし、結果は報われず。販売側からみると、任天堂を通さないものを売るのは逆らうことに等しいので、非常に危険過ぎるという判断となります。
営業に失敗したナムコは、任天堂の提案を甘んじて受け入れることになったのです。

スーパーファミコンのカートリッジが統一されているのは、このあたりでしっかりと押しつけたという前例があるからこそでしょう。
個人的にはファミコンの形状、色が統一されていない形が好きでしたね。並べてみるとカラフルですし、友達との会話中にファミコンの話しになると、「あー、あの○○○色のやつね」という色で記憶が引き出されるのがいいところです。