スピリット オブ ヤーパン 異聞
「師弟講談」
「なんだ、全部出てやがんのか」
営業部のフロアで少し抜けた風とでも言えばよいか
背の高い課長職がぼやいた
残っているのは、部長と外回りをしない内勤ばかり
その残っている部長がぎろりと、音でもしそうな視線を男に向けた
「あ、いや、部長にそういうつもりじゃ・・・・部長に出ていただくほどじゃないんですよ」
低姿勢に謝る、いつものことだから
部長もそれ以上は言わない、彼もそれなりの戦果を上げた強者だが
いささか年を取りすぎた、最近はめっきり外に出ていない
それを揶揄しているかのような言動に
部長は不快感を表している、だが、それだけですぐに熱が醒める
「まぁ、お前の言うこともわからんでもねぇ、俺も若ぇ頃はよく出てたんだ」
「いや、若ぇ頃って、部長、2年前、御所に上がって形式したじゃないデスカ」
2年は大きいんだよ、人間を臆病にさせるのに充分だ
そんなことを言おうかと思ったが、それを言うほどは
まだ老けてないと気付いたのか、思ったのか
部長はそれ以上その話題を続けなかった
「おう、お前も管理職だそろそろ部下鍛えるっつうミッションもこなさなきゃならねぇ」
「?何を今更、入ってきた若い奴は基本的に俺が教育してるじゃないですか」
「新人に近江ってのがいる、そいつ連れていけ」
「!今日は二条の宮ですよ、あそこは新人が行けるような場所じゃ、」
「そこで死ぬようならどうせ、今後どこかで死ぬさ、お前もそうだったろうがよ」
「そりゃそうですが」
言いながら、課長職はにやにやと笑って
その若い奴がどんなか、気になって仕方ない風だ
かつて、この部長と課長も、そんなことがあった
そういうことを知っている人間は、すっかり偉くなっている
情報とともに興隆も早くなった、課長職が姿勢をただした
「で、そいつはどこに?」
「営業の若手といやぁ、道場に決まってるだろう、連れていけ、俺が許す」
「ありがとうございます」
「瀬田一鷹課長、近江太郎を連れて二条の宮へ向かえ」
「了解いたしました、すぐに急行イタシマス」
「すぐにと急行を並べるな阿呆」
「へへ、へ」
言って、瀬田は部長に背中を見せて道場へと向かった
課長職も長い、そろそろ部長の背中が見えてきている
この三菱という会社は不思議で、課長の次が部長となるケースが非常に多い
通例ならば次長職を経てしかるべきだが、三菱では
次長は、ある種、最終経歴のポジションになっている
部長が降格になって任に当たるか、それ相応、つまり次長っぽい人間が納まるか
次長という役職の性格をよく表している、補佐を重視した人事ともいえる
余談はさておき、その次長職ではないルートで出世しつつある瀬田は、
ようようと、その道場についた、パシン、と景気のいい音がしている
「おう、近江ってどれだ?」
「瀬田か・・・、あいつだよ」
同期の総務の奴に聞いた、総務の人間がこんな下っ端道場にいるのは
おかしな話だが、何かの視察をかねていると解っているから
もう、疑問にも思わない、瀬田は言われたままに
指さされた先を見る、なかなか威風堂々とした若者が見える
「いい面構えだな、どうだ?」
「二刀を使う」
「は?子供か?」
「いや、ホンモノだ」
総務が言った通り、二本の竹刀を実に器用に、そして素晴らしい捌きでもって扱う
二刀流に憧れるのは男子として一度は通ってしまう、ギターと同じ哀しい道ではあるが
それを究めてきているとなると、なかなか面白い
「凄いな、大きな子供だ」
「その通りだ瀬田、あいつ、中身もガキなんだよ、気を付けて扱え」
総務は用事が済んだのかそれだけ言うと背中を見せた
ぴと、とその背中が止まり、にやりと笑って振り返る
「お前そっくりだ、案外、気が合うかもな」
「誰が子供だ馬鹿野郎」
言いながら、瀬田は既にその予感を感じ取っていた
楽しみだと思いながら三本ほどを終えて一息ついているくだんの男に近づく
うろんとした目と言えばいいのか、違う、本気で他人を敬う気持ちが欠落している目だ
見覚えがある、休みの日の自分の目つきと一緒
全てが面倒になっている、なんて奴だ、俺を上司だと認識できてねぇな
「おい、近江太郎だな?」
「はぁ、あんたは?」
ばごぁっ!!!!!
疾風怒濤、その声に脊髄反射したように、瀬田の左腕が近江を襲う
しかし笑顔のままだ、しかし青筋が立ってる、しかしそれを近江はかわした
「っっぶねっ!!!!何しやがんだ、この、おっさ・・・うぉぁあああっ!!!」
「口のききかた知らねぇガキだな、こらっ、ぁああああっ!?」
間合いを必死にはずしながら
他の営業マンの稽古を邪魔しないように、するすると後退していく新人
それを確実に追いつめていく課長職
瀬田の徒手空拳がうなりをあげる、竹刀を持ったままなんとか逃げの姿勢から
そろそろ体勢を立て直しつつある近江、そして、とうとう壁の際まで追いつめられた
いや、おびきよせた?
「ぜいぁああっ!!!」
!!!
瀬田が下がった、新人如きに下がらされるとは、俺も遊びすぎてる
瀬田は苦笑しながら、おびきだされた事実を受け止める
二刀がうなりをあげて反撃してきた、いい太刀さばきをしている
真剣ならかわすことができないかもしれない
幸い、慣れない竹刀だからだろう、瀬田はゆうゆうとそれをかわし、壁に飾ってある竹刀を一本取った
本来、刀を使うまでもないが、相手をして見よう、そんな気になった
「どうした、打ってこいよ?」
「・・・・・・」
それまで、ゴキブリ殺す若奥様の如く、ステキに竹刀を振り回していた新人は
ぱたりとその動きを止めた、刀を、竹刀とはいえそれを備えた男をみて
容易ならざる事態を悟ったらしい、瞬時に脚が鈍り
間合いを外してじっくりと見に入った
つまらない、いや、勘がいい、それが解っただけでよしとしよう
先に瀬田が降りた、切っ先を降ろすとつられるように、近江は膝から畳に落ちた
緊張が事切れたのがありありと解る、満足げに瀬田は微笑み話しかける
「営業一課課長、瀬田だ、近江クン、私に同行したまえ」
「どこ、行くんす・・・・や、行かれるのですか?」
無理をした敬語がおかしいと含み笑いをしつつ
瀬田は明るく答える
「営業マンが外へ出るってのは、営業に行くってことだ、二条の宮、行ったこたぁねぇだろ?」
「!!・・・・もちろんですっ、やったぜっ」
若者はいい、希望に向かって瞳を輝かせることができる
この男はひょっとしたら物になるかもしれんな
瀬田はそんなことを思いながら、期待に胸膨らませた風の
言葉遣いがなってない男を気に入った様子だった
「すぐ仕度しろ、10分後に出る」
「5分で充分すよ!」
「二条の宮に行くんだ、適当な格好したら承知しねぇぞ、ガキ」
慌てた様子で近江は着替えに戻っていった
瀬田はにやにやを忘れないまま道場を後にする
外に出ると先に別れた、総務の同期が立っていた
「おう」
「近江を頼む」
「なんだ急に」
「お前なら解っただろう、アレは物になるぞ」
「ああ、いい筋はしていそうだ、真剣ならなおのことな」
「形式にも慣らせておきたいのだ、頼む、まぁお前と一緒に行けば充分だろうがな」
「・・・この件、お前が発端か?」
「たまたまだよ、それよか、あれは物になるぞ、何度も言うが、頼む」
二度、物になるという言葉をことさら強調した
総務は用が済んだのかそのまま立ち去った
瀬田はぐるりと考えてみる、なるほど、今回の二条の宮の件
全部含めて野郎が仕組みやがったな
だからといって突っぱねるほどの事でもない
それにこの総務は、水鏡と言えるほどの眼力を持ち合わせている
その男が、わざわざ同期に頼みにくるほどだ、よほどのことでもある
この男の眼力については、
瀬田:『おう、どうだ?』
総務:『任せろ・・・・・左は既婚、右はヤクザの女だ、あとの能面女3人がフリーだが、ハズレだな』
瀬田:『馬鹿野郎、誰だこのコンパ組んだ奴ぁ、おいクソ幹事っ!!』
幹事:『つうか課長達なんで居るんすか?』
などというエピソードで知られる、一瞬にして合コンの相手の素性というか
男性関係を指摘できるほどの眼力がある、年齢を意識しない男であることも伺えるだろう
以上、余談
「瀬田さん、どうしたんすか?準備できましたぜ」
「おう・・・・・て、」
瀬田がふっと意識を戻されて
そちらへ視線を飛ばした、その瞬間、再度動作が停止する
「なんすか?まさか、老衰」
「てめぇは、口のききかた知らねぇのかっ、っつうか、それよりも、なんだそのネクタイ!?
お前は馬鹿かっ、どこのどいつがサーモンピンクのネクタイで、国の機関に出入りすんだっああ!?」
「ちょっと、やだなぁ、瀬田さん古いっすよ、今時はこれくらいバビっと派手な方がウケがいいんですって、
っつうかサーモンピンクっつう単語が古いっすよ、ラックスシンケンって呼ぶんすよ」
「御託はいいから変えてこい、馬・鹿・野・郎・!」
言いながら、思わず手が出てしまい
思いっきりどつき倒したが、にへら笑いを浮かべてしぶしぶ戻っていった
実際、先に近江がいった通り5分だったが、この着替えを合わせて10分だろう
まさか、そこまで見越してこんなギャグしたんじゃねぇだろうな・・・
ふと、切れ者を予想してみたが、更に5分後に現れた近江の胸元がアマガエルと同じ色だったことで、
全てが杞憂に終わったことを悟り再度殴り散らして、結局15分後の出発となった
「・・・瀬田さんて、強いんすね」
「当たり前だ、というかお前は一般常識っつうものを知らねぇのか、上司に向かって口利きがよ」
近江の顔が既に2倍くらいに腫れているが、まぁ
男ぶりが上がったという便利な言葉で片づけておくことにする
運転は近江、助手席に瀬田が座り、京都の狭い道路を営業車が走る
「ところで、お前、外回りは初めてか?」
「そうなんすよ、それがお役所とは、もうなんつーか、アドレナるっつうか」
「そういう、中途半端に古い言葉で俺に気ぃ使ってるふりしながら馬鹿にするの辞めろ」
「台詞が説明的っすね」
一発殴ってから瀬田がぼんやり外を見た
堀川通りをまっすぐ二条まで上がる
かつて、城があったそこに、現在二条の宮と呼ばれる官庁の宮がある
そこに、たった、わずか一台のコピー機を搬入する
そういった契約を取り交わす仕事をしに二人は向かっている
「一発目からでかい仕事ってのは、お前ついてるぜ」
「解ってます、自慢じゃないすけど、俺、こういうチャンスってのを逃したことねぇんすよ」
笑いながら運転する横顔が、屈託のない笑顔を見せた
瀬田は、それを眩しそうに見ながら、一発殴ってみた
すっかりそういうネタとでもいうべきか、定型がこしらえられている
チャンスを逃さないってのは、苦労をしてきたことの逆手だねぇ
少し素性を探ってみようかと思ったがやめた
馬鹿の自慢話になるに決まっている、なぜなら俺がそうだからだ
似ていると指摘されたことに苦笑せざるをえないな
瀬田は思ってから、顔をただした
「知ってるとは思うが、説明しとく」
「お願いします」
殊勝な具合で近江は黙った
瀬田は、朗々と詠唱する
「今回はわずか一台のコピー機の納入についての取引だ、正直、額にしても
手間にしても、まるで割に合わない仕事だ」
「そう思います、課長の給金だけでコピー機何台買えるかっつうくらいっすもんね」
「黙れ、で、だ、それでも食い下がるのは、相手が二条の宮、国の機関だからだ」
「・・・・・」
「お前も知っての通り、国の仕事を取るってのは、この世の中で最大の誉れになる、
何よりも今後、凄まじいまでの畏敬を得られるようになる、会社はその勲章を欲しがるわけだ」
「わかってますよ」
「それだけで、随分変わってくる、うちみたいに新興の会社はなおさらだ」
「当然す」
「あとは気合いだ」
「簡単すね」
かかか、瀬田は笑った
不審に思って顔を伺う近江だが、その真意はくみ取れない
そうこうするうち、とうとう車は二条の宮についた
かつては、世界遺産に指定された大きな城のあった土地
現在は役所が立っている、二条の宮と呼ばれるこの国でも指折りの役所が立ってる
「で、誰とやったらいいんすか?」
車をつけたが、他に競合する他社はいない様子だ
乱刃に備えて、やけに柄を上に向ける差し方をしている
既に鯉口が切られているからだろう
歩いていて、刀がするする落ちないようにしている様子だ
「物騒なもんは仕舞え、お前お役所の前で刀晒したらどうなるかわかってんのか?」
「い、いや、そりゃそうですけど、今日は・・・」
「控えろ、車に置いてこい、急ぐぞ」
釈然としない話だが、言われた通りにして
居心地悪そうに歩く、腰が軽い
それが居住まいの悪さを演出する
門をくぐると、こじんまりとしたものが遠くに見える
遠く、と言うほどでもないが、邸宅からこの外壁までに恐ろしい無駄がある
「どうだ」
「無駄の多いところっすね」
「そうだ、俺も最初はそう思ったんだ」
「こんだけ見晴らしよけりゃ、不意打ちは無いでしょう」
「お前、まだわかってねぇのか、ここは国の直下なんだよ、そんな物騒なことはねぇ」
「???」
納得がいかない
それを読み取って、もっとも、最初からわかっていてだが
瀬田がもっともらしく、嫌味な声を出す
「お前、殺人が合法だとか思ってんじゃねぇだろうな、刀を下げるなんつー、物騒なことが
天下の往来では絶対許されねぇんだって、世界的な常識わかってねぇな」
「な、なんすかいきなり、課長ともあろう人が今まで何人・・・」
「黙れ、この文明国で殺人が往来で許されるわけぁ無ぇだろうが、ついてこい」
本気で黙殺する目で睨まれた
近江はわけわからない内に、なんとなくそういう
いつも当たり前だと思っていることを言ってはいけないのだと知らされた
全ての調子が狂うな、思いながら長い道のりの先、庵へとやってきた
中に入ると、数名の男達が粛々と座っている
そこへ、官庁の手先と見えるものが出てきた
いかにもな風体、そして
「よきにはからえ、さて、こんなにたくさん居ては、我には、選ぶこともまかりならぬな」
などと、わざとらしいことを嘲りの表情とともにうそぶいた
なんだこの茶番は
近江は呆気にとられたが、隣にいた瀬田が強引に頭をサゲさせた
全員が平服している、それを見て、さも満足そうに
官庁の男は決まり切っていた、思いつきを言う
「形式をしよう、一番強い者と契約をしようと思うぞ」
ドドン、太鼓の音がして、そして
集まった各社の猛者は、ようやく心に火を入れることになる
近江以外の全ての人間は、とても慣れた様子で
そそくさとその所作にのっとって動いていく
見よう見まね、そして、瀬田の指示に従って
とりあえず恥だけかかないように近江は動いて捌いて、気付いたら座っている
「課長・・・・」
「いい、お前は俺の背中だけ見てろ、いいな、頼むぞ」
頼むぞ、その部分だけをことさら強調した
瀬田の思惑はわからない、この庵に入ってから
めまぐるしく場面が変わってしまった、すっかり形式試合の体裁が整えられた
静かに目の前で男達が争っている
一部女もいるが、ほとんどが男だ、今時これだけ男ばかり揃うのは
珍しいと近江は感じている
「木刀勝負なんすね」
「形式で真剣使う馬鹿がどこにいる」
「いや、初めて見るんで」
「ならちょうどいい、お前のその、勘違いした知識全てを補完してくれる」
瀬田はそう言うと、それまでの冗談を交えていた瞳を
どこかへおいやった、キツイ、ただ、男臭い瞳をして
目の前を見ている、じり、焦れる音が見える
そんな対峙をじっくりと見ている
「すげ、瀬田さんそんなおっさんみたいな顔する時があるんす・・・」
ばごっ
「痛いっすよ」
無言で、瀬田はもう冗談ではない場所だと
言ったつもりなのか、そういう具合で殴った
近江としては面白くない、仕方ないから目の前を見ている
今日日、木刀試合なんて、そんなに怖いこたぁ無い
そう思っている、それを見事に打ち砕かれるわけだが
ばきゅ、
音が正しいかどうか、日本語のような50音も表す言語をもってして
その音を正確に伝えるには足らない、51音目を発しながら
目の前で一つの形式が終わった、ばったりと倒れ
一社が減ったことだけわかった、無情に続く太鼓の音だけが
薄気味悪く腹の下あたりをくすぐる
「・・・・・」
「・・・・・・・・・」
近江の顔は青ざめた
目の前では、確かに、木刀を使ったやりとりが行われている
血が出ない、斬れない、手や脚や胴が別れることはない
だのに、なんだこれは
ぱぎゅ、
不気味な音がまた一つした、小手が
木刀によってへし折られた
真剣で常に勝負をしている者達が木刀を使えば
それなりの技を、まったくの利剣ではない、鈍剣とでも呼べばよいか
それでやる様は、一瞬で、人体を折る
砕くでも、斬るでも、断つでもなく
折る
「ぐおおおおおあああああっっ」
「・・・・・!!!!!!!」
うめき声が響く、それと太鼓の音が響く
どちらかだけで、やがて、それらを発する者も減っていく
すくり、瀬田が立った、思わず近江は釣られて立とうとしてしまう
「お前はそこだ、俺の背中を見る係だ、しっかりしろ」
「は、はい」
その背中が、するすると、遠くへ行くのに大きさをかえない
頼もしいそれから来るのだ
そう感じ取った、一瞬、何が起きたのか
確か課長は一刀流のはずだ、そうだ、だって上段に構えたもの
そこまでは見えていた
その後、背中がようやく遠いように見えた
変わるようにして、相手方が近江に向かって倒れ込んできた
思わず庇うように受け止める、ぐにゃり、不気味な感触が手に残る、腕に残る、記憶に残る
ここでは殺し合いは無い、皆、生きて出られる
「ぐむぅぅうううう・・・」
近江の腕の中で、男は脂汗を滴らせて
ただ、押し黙ろうと、歯を食いしばり
じっとりと、全身を震わせている
「おう、漏らしてねぇだろうな」
「ば、馬鹿言え・・・」
ばごっ
「口のききかた」
「す、すいません、馬鹿をおっしゃらないでください」
「色々間違ってるが、まぁいいとしとくか、おう、ついてるぞ、今日は取れる」
「・・・・瀬田さん・・・課長」
「なんだ?」
初めてのことだからだろう、かすかに震えているのがわかる
形式なんてのは社会に出るまで体験することがないから
その畏怖はとてもよくわかっている、瀬田はにやにや笑いながら
腕っ節に任せて暴れていた若造の挙動を見守る
少しは頭冷えたか?なんて
「次、俺にやらしてください」
ほう
「是非」
「お前、来るときの俺の話覚えてるか?」
「はい、会社にとってすげぇ褒賞だってことぁ解ってます、だけど」
がたがた、震えたまま瀬田の瞳を見上げた
黒い瞳がたわたわと揺れている
「震えが止まらねぇんすよ、武者震いが・・・俺、早くあの場に立ちてぇ」
若造のその言葉は、ありふれているが
震えながら本気で言っている様を酷く気に入った
しかし、公私は分別しなくてはならない
逃したら洒落にならない・・・ならないが、
「ただし、ここは一本しか許されない、お前使えるのか?」
「大丈夫す、次の奴居合いっぽいから、それならやれる」
どういうことか?
わからないが、自信があるその瞳に賭けてやることにした
負けても、もう一度がある、会社として一度の負けまでは許容範囲になる
そのために二人で来ているのだ、うなずいて前へ出してやった
瀬田が座ってその背中を見てやる
「落ち着いてやれ」
「大丈夫だ、あの脚運び、俺ぁあの流派には詳しいんすよ」
「ほぉ・・・なんだかしらんが、頼もしいな」
「へへ、運が向いてるってことっすよ」
言って、近江が舞台に立った
そのあと、瀬田の心配はまるで無いまま
その一本をこなし終えた
☆
「うへへ、見てました?ね、課長、俺のあのすげぇ一振りっ、うししししっ」
「まぁ、有頂天になるのはわかるがな、お前、ああいうのはあんまり形式で見せない方がいいんだぜ?」
「そうなんすか?ま、でも、ねぇ」
「技ぁ盗まれちまう、次のあの場にいる奴にあったら大変なことになるんだよ、覚えておけ」
説教臭い台詞を揶揄する近江に鉄拳をくわえつつ
車はのらりくらりと二条を離れそうこうして、本社についた
「おう、先戻ってろ」
「はい」
近江が先にあがり、瀬田は別エレベーターから総務に向かった
フロアに入ると、既に総務は終業したらしく
暗がりになっている、営業部と対照的なこの状態が
初めて癇に障った
「おう、瀬田、おめでとさんよ」
「いたか、おいてめぇ」
「よしておけ、今俺の間合いだ」
ズク、瀬田が全身を強ばらせた
背中側に現れた声の主は、間違いなく全てを備えている
今の瀬田は営業帰りで腰に差してはいるが
柄に手もおいていなければ、鯉口も切れていない
「てめぇも変わっちまったな」
「瀬田、お前だけにはとか、そんな甘い事も俺は言わなくなった、確かに変わったよ」
瀬田が、諦めた様子でゆっくりと振り返った
振り返って、改めて目の前の男の整いぶりを焼き付ける
腰も落とし、手は柄に手をかける寸前
そういえば居合いの心得がある奴だったと思い出させるその姿勢
瀬田の瞳が鋭くなる
細くたなびくような、薄い瞳の光が漏れる、夜を連想させる月明かりのような光
「野郎を採用したのはお前か?」
「その通りだ、見立て通りにいい筋だろう、すぐに頭角を表すぜ」
「ああ、お前の望み通り、お前の眼鏡が正しいという評価とともにな」
にたり、総務の同期は笑った
「流石だな、言ってもいないのに気付いたか」
「ったりめぇだ・・・・どこで拾ってきた?」
「心配するな、罪人じゃねぇよ」
「ほう?あの殺し慣れがか?」
瀬田も笑い返した
先の形式で、木刀技でありながら相手が不能となるような箇所への打ち込みが目立った
一戦で下がらせたが、その一戦のあり方が酷かった、恥を塗るやもしれぬような
剣技に品性が見られない危うさがあった、実践剣なのだろう
そう思えた時、公人の冷たい視線が危ういことを招きかねなかった
見栄という美しいそれを纏わぬ殺し慣れは、殺人鬼にされてしまう、それを囲う会社となれば
信用など勝ちうることは、永劫無い
「なに、そこをお前にしつらえて欲しかったのさね」
「ああ、そうだな、ダメなら俺が腹を切ることになるからな、同期の桜ぁ」
くっくっく、総務は嗤ってさらに返す、この男としては
近江の出世で自分の出世
もしくは
この件の失敗で瀬田の失脚
いずれかを取ればよかったのだ、幸いと言うべきか
先の展開となったわけだが、その裏しざまが赦せない
瀬田の怒りがふつふつと煮える
「あれは下層の出だよ、愛知じゃなく京都下層だがな、ちゃんと躾けてやってくれや瀬田課長、いや部長かな」
「貴様・・・」
「称が変わったな」
「てめぇのほうがいいか?このクソ野郎・・・槍の小娘も会社ではなく、お前の差し金か?」
「耳が早いな、下層からも雇わねばならんのだよ格差を無くす政府の方針さ、間違ってねぇ」
「お前はそういうことに媚びねぇと信じていたんだがな」
「媚びるな、なんとでもいえ、俺は犠牲を厭わないタイプなのだ、それでいて犠牲とするのは弱者として
間違いがないと信仰しているんだよ」
「あああ、立派なことだなぁっよぉっ!!!」
総務のもっともらしい言葉が、もう我慢できないところまで瀬田を連れてきた
冷えた瞳が一瞬、その形を笑顔の時のそれにした
瞳の深い所は、滝の底をのぞくような薄暗い、それでいて冷たく恐ろしい色に染まっている
殺意だ、瞳に宿ったそれを、全身の毛穴を震わせて総務は感じ取った
瞬間、刃が走る
キィ、
「甘ぇ」
ぴたり、その先の先を瀬田がとった
居合いの先を封じて、刀を抜ききる前にその間合いを消した
尋常のスピードではない、おそろしいソレはその間合いを消され狼狽した総務の横顔に
鉄拳を炸裂させる、ずどん、重い音がして総務はもんどりうって倒れた
瀬田は追わない、だが、鯉口を切っていつでもやれる体勢を整えた
立場が一瞬で逆転した、瀬田の居合い封じが閃いた
「お前・・・・・俺の居合い封じるたぁ・・・」
「相手が俺でよかったな、近江なら今のままお前を斬り殺してる」
昼間見たそれを瀬田は見よう見まねで炸裂させた
近江が必死の一手として見せた
居合い封じのそれ
見ただけでマネできるほど、単純なものではないはずだが
この男はそういう常識で測れない
「・・・いい男を拾ったのは間違いがねぇ、間違いがねぇだろうさ、約束通り俺ぁ育てるぜ、見てろ馬鹿野郎」
ちぃっ、瀬田は忌々しげに奇声を発してからその場を去った
総務は身体を正し、それでもその瞳に微塵の後悔や畏れを抱かずにいる
もう二人とも、一人の男子として何かを律している
背中の大きさが、いずれも同じほどでゆらめいている
「瀬田さん、遅かったっすね?」
「おう、ああ、すまんな別にお前の態度とシャツの色にむかついたわけじゃねぇんだ」
「その具体的な否定が怖いっすよ、刀、糺してくださいよ」
鞘から自由を得つつあった刀に近江は恐怖を感じておどけた
瀬田も悪い悪いと思い、先のことはすっかりと忘れた
「そうだ、お前あの居合い封じはどこで覚えたんだ?」
「あ?あれは・・・・へへ、ナイショっすよ」
屈託無く笑う、いい顔で笑いやがる
馬鹿を絵にかいたような笑顔が
思わず鉄拳かましたくなるほど、いい笑顔
「惚れた女が使うんですよ」
「ほう?手ほどきされたのか」
「違いますよ」
さらに笑いを強めて目を細めた
へへへ、そういう顔つきで答える
「告白するときに、ほら、気ぃ強ぇ女だから殺されないようにうまいことやろうって練習したんすよ」
「ったく、暇な野郎だな」
「なに言ってんすか、俺はその為に生きてんすよ、そのために死ぬのは御免被りますぜ」
近江の笑顔は澄んだそれだった
しかたねぇなと釣られて笑う瀬田の笑顔も
決して悪くはない
だが、大人になってしまったんだな、寂しさを覚える瞳の奥が
彼の死ねない思想に、一抹の不安を抱いた
「おう、お前には色々教えてやることがある」
「え、なんすか」
「いいからついてこい、お前は俺が預かるようにしてやる」
瀬田は真逆だ
活きる為に死ぬことを厭わない想いが眠る
だからこう考えてしまう
いい奴が死なないようにするんじゃなく
いい奴に納得いく死に方を用意してやる
後日、この件により瀬田は部長へと昇進した
推挙は、総務の同期の強い願いによったという
あれ、つまらなねぇ
そんな具合で、今作失敗しております
初の話の時と膳所のいえの話で覚えたはずなのに
本編絡みの外伝は芸の巾が狭くなるからいけねぇと
今回も大失態とかなんとか
書きたかったのは、真剣を超える木刀の話だったんですが
そこ書けてません、いけません、精進しましょう
覚え書き:ラックスシンケン=生ハム
駄文長々失礼いたしました
R(06/02/21)