スピリット オブ ヤーパン 異聞
「タガメ」
水のゴキブリ
いや、それはゲンゴロウやミズスマシだ
タガメは違う
断じて違う
たくましい前脚
圧倒的なフォルム
獰猛で肉食
タガメは、そこいらにいるムシケラとはわけが違う
「おう、片づいた、さっさと行くぜよ」
「ああ」
ムシケラは俺達だ
男は静かに思った
それ以上は考えるのを止める
脱兎となるべく、ただ流れる黒と白の景色を
瞳の縁に映し込み、輝かせ、いや、ただ
明滅を繰り返す世の中をずっと走っていく
世の中でも、ずっと端を、決して央には入らない、人がいるか
獣が通るか、その境あたりを懸命に
ひたすら走りまくる、ムシケラだ、生きる価値と意味がまるで見つからない
血みどろになった肉塊をそのままにして
金品は総て奪い取り、そのまま消える
こういった生活で随分と時間を浪費している
なんの為に生きているかはさっぱりわからない
わからないが、生きる為にはこうでもしなくてはならない
とんだ厄介となった
「世の中が悪い、格差が酷いなんつーもんじゃねぇしな」
根城は十条の下
いわゆる、零条と呼ばれる、かっこよくいえばスラム
言い得て妙なのはゴミ捨て場、ムシケラが住み着くには実によくできた環境だ
男達は、たむろう
見境のない瞳は、常にぎらりぎらりと異彩を放ち
隙を伺い、生きる為に人を殺すことを、まるで厭わない
なんのために、そこまでして生きたいのか
それはまるでわからない
「しかし、すっかり俺らも、愛知だな」
「おー、怖いこと言うな、お前わ」
低層の話をすると、ここいらの住人はさもうれしそうな顔をする
自分たちより下がいることを確認できる
わずかながらな人間であるという自尊心を、その何百倍の稀釈にて潤そうと躍起になる
人格という上等なものは、とうの昔に無くしてしまった
この場所に追いやられた際に、そうなるべくしてなった
世の中は、富裕層と貧困層に、見かけ、経済、社会、それ以上に
物理的閉鎖を伴うほどに差を設けた
堕ちた奴と堕とされた奴が居る
全く違うものだが、同じ場所に追い込まれて、気付けば外からでは見分けがつかない
極小さな、はっきりとした汚点を作ることで、他の基調を整えた
この場所に住む人間は、社会の底辺だ
しかし、底辺は総てを支える地盤でもある、だがその地盤は上に居る奴には見えないし
感じられもしない、人じゃない、支える何かだ
「俺ぁ、もともと上等の出だ、お前らとはわけが違う」
「バカ言ってんじゃねぇ、そんな話は、ここいらじゃ珍しくもねぇだろうがよ」
げらげらと品のない笑いで、他愛もなく話す
事実、こいつらはもともと十条以上の出だ
そこそこの、なにかしらカタギをこなしていたが
ひょんなことから、この零条へと踏み込んだ、逃げ込んだ、そして填り込んで、出るに出られない
冒頭で、ムシケラと自虐を浮かべた男は
少し離れて、このいつまでも続く、同じ景色を見ている
毎日毎日、表に居た頃がいかに凄かったかを話し、暇になれば悪党を働き
手柄を誇り、卑しく、浅ましく、這い蹲って生きていく
ムシケラだ、俺も含めて
黙って、金魚を水槽に入れる
すい、茶黒い影はそれを素早く捕まえ
まとわり、そしてその命を吸う
タガメを飼っている、別に意味はない、ただなんとなく
珍しくて飼っている、一つ言うが、タガメは結構がんばらないと
飼育できないからな、お前ら(・・・・。)
「あ」
そのタガメに異変を一つ
卵が産み付けられてる、驚いた、何匹か入れてるから
つがいにもなるかと思ったが、そうか、そうか
別に可愛いとか、よかったとか、そんな事は思わないで
男は、その事実だけをじっと見つめた
グロテスクな卵塊は、壁面に敷き詰められ、時折オスがそれに水をやっている
睦まじいことだ、まったく
家族めいたことを見ると、男は不快を超えて、生きる意味すら問いはじめてしまう
そういう産まれの湾曲し、屈折した人格形成が見てとれる
「おい、あれ」
「??ああ」
声をかけられ、静かに立った
音を上げず、気配を殺し、エモノに近づく
母子のようだ、これはいい、手間が無い
狩りのツレどもと群がり、一気にそれへと刃を向ける
すぐだ、殺す、殺さないは迷わず
奪う、ただ、奪うこと
気付かれた様子、母親が短い刀を不器用に抜いた
その程度で怖じ気づくわけもない、男は剣先を睨み付け
動きを見切り、小刀を逆手に持つ、闇から闇へ
影を伸ばすように近づく、母親の剣先の内側に滑り込む
奇声、泣き叫ぶ子供、うるさい、黙れ
ずぐっ、ずんっ
二度、手元に重たい衝撃を覚える
小刀は確実に母親の身体をとらえ、そして手応えをもって終息となる
戸惑いなどなく、ためらうわけも、うろたえるわけも
ただ憎悪にも似た感情で、手に掛けた、赤い液体は見飽きた、珍しくもない
「相変わらず、お前のやり口は酷ぇな」
ムシケラ達ですら、やや引くほど
凄惨を究めた、ガキはどうなったか知らない、それはこの男の領分ではない
なぜか息があがっている、昂揚とは違う、不気味なアガリを覚える
酷い顔つきをしているだろう、造形がなんとなくわかる
狩りのツレどもは、そんなことは常のことと
すぐに物色を初めている、こんな生活がもう、何年も続いている
「おう、どうした、調子悪いのか?流石にうしろめたいか?」
にへり、笑いながら一人が声をかけてきた
確かに、言われる通り、尋常じゃない、だがそれはうしろめたいからじゃない
何か迫るようなものが、内側にあった
男は熱い息をする、誰にもわからない、吐いた自分だけが気付く
嘔吐に似た熱気を漏らして、舌がまわる
「俺ぁよ・・・・・母親に殺される為に産まれたんだ」
「なん?」
男の素性は明るいものではない
親は母しか居なかった、随分と働いて、随分と優しくされて、随分と愛情をかけられていた
ように見えた
実際は異なる、父親にあたる男は、この女を裏切っていたらしい
そんな裏切った男の子供、自らの腹を痛め産んだ
なんのために
前述の通り、殺すために産んだ、男はそう信じている
それを体験している
酷く父親に似てきた自分に対して、女を露わにした母は殺意を浴びせかけた
真っ赤に染まった後に、気付けば、こうなるように走り初めていた
親殺しの罪は重い、逃げるほかなかった
「!!!!!ぎぃあっ」
ぱんっ、破裂音のようなのが目の前で火花を飛ばした
意識が飛んでいた気がする、あわてて現実に戻る男
なんだ?状況を把握
血みどろの女が、物盗りどもに数太刀浴びせている
いや、いた
どあっ、すぐに収まった、2人くらいを斬ったところで子供にかぶさるよう倒れ動かなくなった
「・・・・・・・・」
「おいっ、くそっ、この女っ、ガキぃかばったつもりかよ」
ゴロツキどもは、気味の悪いものを見たという顔つきだけ
誰一人として、斬られたゴミムシの心配なぞしない
そういう仲だ、目の前の子供をかばう親のような
情というのは存在自体が茶番でしかない
分け前を手に戻る
タガメの水槽を見る
「そうだ、結局はそういうことだ、そういう、ことだ」
メスが自ら産んだ卵を蹴散らしている
オスは蹴散らされた卵を見て、卵を守るという義務から解放され
メスを求めるようになる
メスは、それをわかって、オスを手に入れるために子供を殺す
タガメにとってはさも当然のルールだ、オスを手に入れる為に自らの子を殺す行為
水槽の中が、とても住み心地よく見えた
男はじっと見つめて、そして何かを悟る、目に見えないうごめくそれを触る
明滅する世界はずっと続いている
生きる価値もなにも見えないまま、なによりも
情という茶番の存在が壊れる瞬間を見たがっている
「?・・・・どうしたの?」
「・・・・・・」
「おにいちゃん?」
唐突だが、一つだけ説明をしておく
この男には自分を兄と呼ぶ女がいる
歳はだいぶ離れている、実際の血縁はよくわからない
男が親を殺した時、その前後の記憶や関係を脳が放棄したから
縁(えにし)は酷く不確かだ
ただ、気付けばここで二人、そしてどうやらこの女は男を慕っている
男はそれを何とも思わず、ただ飼っているタガメと同じように扱っている
男は、親を殺した時に置いてきた、忘れた、情を解する心を
「親が子を殺す、殺される子を守る親、どっちが本当だと思う?まるで虚仮ばかりだ」
「おにいちゃん」
ぎゅ、言葉を遮った、強い調子で呼び止めた
女は機敏に感じ取っている
この人は疲れている、もうダメになるほど疲れている
可哀想な人だ、悲しい人だ、哀れな人だ
女は男のそういった脆い部分をよくわかっている、解ってやれるほど気持ちを傾けている
それが愛情だとは気付いていない、理解(わか)るにはまだ早い、あまりに若い、過ぎる
女は消え入りそうな男を抱き締める、胸に頭をうずめさせる、慈しみで包み込む
だから
「・・・・・・・・・」
「おに・・・・・・」
不覚にも描写を一つ忘れている
雨だ、ざんざんに雨が降っている
傘で迎えに来たんだ
濡れそぼり、薄暗い水槽を覗く、寂しい男を迎えに来た所だ
うだる湿気と、むせるような暑さ
耳には雨音とカエルの泣き声が交互に入り乱れる
乱れるのは、音がうるさいからだけじゃない
ざばっ、ばしゃっ
「ぅるさいっ!!!ぅるさいっるさいるさいるさいるさいっっ」
「・・・・・・・・・・・・・」
何も言ってないよ、何も、怯えないで、お願いだから
荒れる男に圧倒される恐怖を覚える
震える、傘はとうにどこかへ行った、二人で雨に打たれ
もう壊れそうな人を、女は持て余す、男自身を、何より
男に向ける、自分の愛情を制御できていない
過剰に不用意に浴びせられる愛情を
男が最も理解できない、困難で嫌悪と憎悪を催すそれを
無防備に放ち続ける
糸が切れる、断ち切れる、ぷつりと
崩落は、突如、そしてあっと言う間だ
細切れになる現実
うとうととして、もう間を超えてしまう
男は、自分に向けられる行為に母の何かを重ねた
女は、自分に向けられる感情に母の何かを重ねた
そうか
ばしゃっ!!!!
ざんざんざんざんざんざんざん・・・・・・・・・・
打ち続く雨、どれくらい時間が経ったかわからない
ただ、不規律な呼吸音と突き揺り動かされる自らの身体を知覚する
女は涙を浮かべる
ごぉっ
重たい音がして、雨に混じる赤い液体を浴びて
事切れた、崩壊した、破滅を甘受する
女は手にある重い石の感触にまだ気付いていない
男はようやく解放される、自分がしたことが
母が自分に向けた愛情と、まるで変わらないことを自覚できないまま
殺したいほど愛している
愛しているから殺した
タガメがまた、卵を殺す
オスを愛する為に、子供を殺す
・・・・・・・・・・・・・
「・・・・・・・・どうしたの?」
「・・・・・・・・・・」
「泣いてるの?」
「・・・・・・・・・・」
「それは?」
「・・・・・・・・・・・お願いです、供養してあげてください」
ぽつぽつぽつ
傘をうがつ音が近づく
薄暗い外に、自分と変わらないくらいの女の子が
黒い塊をひきずって濡れている
ひきずられた跡がずっと遠くまでわかる
どこから来たのだろう
「・・これは」
「おにいちゃん」
聞いてすぐ、幼いが迎えた女は手をあわせる
死後かなり経っているのだろう、目も当てられない死骸だ
何か声をかけようとする
しかしその機先を制して
「私が殺したの」
「・・・・・・・・・」
「ごめんなさい・・・・・・・ごめんなさい・・・・・・・・・・ごめんなさい」
ぽつぽつぽつぽつ
雨はここのところずっと降り続いている
ひょっとしたら、この子のために降っているのかもしれないね
迎えの女はそう思う
告げられた事実の重さはわかる、が、ここじゃそんなことは珍しくない
場所は、宝蔵院の門前、生き死にの短絡した囲い
「おいで、ここなら大丈夫だよ」
「ごめんなさい」
中位の産女がことを聞いてすぐに来た
優しく諭して、迎え入れる
門前の女と一緒に、妄としている
門前の女はひどくこの同年を気に掛けて
あれこれと話した
他愛のない話しばかりをした
素養とにじみ出る功徳が尊い
そういう女だった
「そうだね、名前をつけよう」
「・・・・・・・・・・」
「今日から新たにだから、初」
「・・・うい」
「そう、何もかもの先っぽ、これから始まることの一足、服作りのはじめに衣に刀をあてること」
諭すひとつひとつの言葉を
ゆっくりと理解していく
「明日からは、まるで新しいよ、いや、今から、初は新しくなった」
「あたらしく」
「そう、そして私は、新しい友達だ」
ちりん、友達が微笑むと腰につけた鈴が小さく鳴った
ようやく雨が止む気がする、長く崩れていた天気が回復する
また別の日が始まっていく、絶え間なく、続いていく
殺される卵がある
だけど
生き残る卵もある
タガメは、美しい水で育つ
産まれの凄惨さは
本当の意味で上等の証
タガメは高等な生き物だ
なんだいきなり
そんな感じで、おちもへったくれもないですが
本当は書くつもりじゃなかったお話であります
許しを乞うて語らせて頂きますと
初の産まれについては、描写しないから物語中で
すこぶる生きてくるとずっと信じていました
が
言わないと何も伝わらないわ
と、とあるお姉さんに言われて、なるほど一理どころかそれが真理だ
などとおいらが開眼したため、とりあえずだらだらしてみました
わっかりにくい上に、とうとう自分で説明したりとかしてる
最悪の下地文、読む度に頭が悪くなるので
気を付けてください
「赤いもの」を「紅いもの」と描写するように
的外れのくせに難しい言葉を多用したがる
いつも通りの、残念なお話でありましたとさ
駄文長々、大変失礼いたしました
R(04/06/02)